ダライラマ法王が読経をしているCDがあるという情報を聞きつけ、Amazonで探したら、本当にありました。
ダライ・ラマ法王 14世 読経CD「祈りの響き」
聞きました。本当にダライラマ法王の声です。感激です。
ダライラマ法王は、何と言っても観音菩薩(アヴァローキティシュヴァラ Avalokiteshvara)の化身です(法王猊下ご自身は否定されているそうです)。こんなありがたいCDが手に入って、なんとも嬉しいことです。
ラマ教(チベット仏教)お経CDは、Lama Gyurmeというブータン人ラマ僧とフランス人ピアニスト Jean-Philippe Rykielコンビの Rain of Blessings: Vajra Chants とか同じコンビで Lamas Chants がとにかく素晴らしいです。
どれぐらい素晴らしいか、Youtubeで探すとちょこちょこ出てきますので、ご興味のある方は探してみてください。
例えば、Calling The Lama From Afar 。9分頃からサビに入りますけど、「遠くからラマを呼んでいる」そんな感じがします。
Rain of Blessings: Vajra Chants (youtube リンク)
Offering Chant (youtube リンク)
ネットラジオですと、ラマ教の読経専門ラジオ局まであり、24時間いつでもチャンネルを合わせれば、そこはチベット高原のラマ僧院もしくはモンゴルのゴンバ(寺廟)に紛れ込んだ気分に浸れます。リンクはこちら、Meditation and Relaxation - Thubten Ling Rangjung Yeshe 実はこの局、ウクライナにあるそうです。ウクライナにラマ教徒がいるのか?というのが驚きですけど。
私は無宗教者なのですが、瞑想を続けているうちに、どういうわけかだんだんと仏教に惹かれてきたようです。タダの東洋趣味なのでしょうか(私は紛れもない東洋人ですけど)。よくわかりませんが、仏教でいう空という概念が、何となく少しだけわかったような、わからないようなホンワカした気がします。
もう何というか、仕事もなにもかも放り出して、生涯一ラマ僧として残りの人生を捧げたい、そんな気分。これは憧れというものなのでしょうか。
というかヨガとラマ教はあまり関係ないような気が、、、。
そしてお次は、下の写真。
ラマ教の最高位がダライラマ法王ですが、末端の方では路地の端で小銭を握りしめて、真剣な表情でバクチに興じるラマ僧達もいて、戒律に厳しそうなラマ教も色々なんですね。
上の3枚は友達がネパールで撮ってきた写真です。見てください、ラマの真剣な表情を。金を賭けると必死になるのは、どこでも同じようです。
この僧衣も、ちょっとトッポい着こなし方とか、きっとあるんでしょうね。
本人にとっては、鉄火場で「男の中の男でござんす」という勢いで銭を張る粋な姿に違いありません。まぁ、実際にやっていることはただの小博打ですが、、、。
では最後に、心が洗われるような素晴らしいサンスクリットの般若心経のYoutubeリンクです。
Heart Sutra (Prajna Paramitha Hridaya Sutra)
知っているような言葉も出てくると思います。興味深いことですね。
Avalokiteshvara bodhisattva (観音菩薩)
Nirvana (涅槃)
Sariputra(舎利子)
Dharma(仏法?)
Prajna Paramitha(般若波羅蜜多)
Mantra(マントラ:真言)
Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha :羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか).
こうやってサンスクリット版を聞いてみると、普段私たちが聞いている般若心経は、漢字で無理矢理音訳して結構無理があるんだな、と感じますね。
意味はこちらのリンクなどをご参考にどうぞ。ティクナット・ハン師の般若心経
ここで思い切って私が自分勝手に乱暴な解釈をしてしまうと、般若心経は突き詰めると
Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha
(ガテ ガテ パラガテ パラサムガテ ボーディ スヴァハー)
このマントラ(真言)が一番重要。色即是空とかその他の残りの御託は、そもそも説明されたところでわかるわけがありません。たとえ理解したところで3日もすれば忘れます。なぜなら、その色即是空・空即是色とかそのあたりの御託は、悟らないと理解できないものだからです。悟りというのは知識ではなく、体験です。いくら悟った人の話を聞いたところで、自分が悟ったことにはならないのです。
しかし「ガテガテ~」はマハー・マントラ:偉大なる真言ですから、意味はわからなくて結構で、音そのものに力があるわけです(たぶん、、、)。