2016年5月23日月曜日

箸をごっそり

高校は基本的に弁当を持っていくのですが、一度養女が箸を忘れたことがあり、弁当が食べられないので、コンビニに行って焼きそばを買ってそれについてくる箸を使って弁当を食べるという大変面倒な思いをした、と母親に向かって怒っていました。

箸を忘れるぐらいのことは、今後とも起こりうる可能性があるので、予備の割り箸を教室のロッカーに入れておけと、スーパーで50膳ぐらいごっそり入った割り箸を買って持たせようとしたところ、
「こんなにたくさん絶対要らないし、笑われる」と嫌がったのですが、
「何を言う。箸を忘れてくる人間など必ず出てくるから、その人にあげれば良い」と諭し、ロッカーにごっそり箸をキープさせておいたところ、しばらくしたらやっぱり箸を忘れてくる生徒が同じクラスに出てきて、その割り箸が役に立ったらしい。そのうちに違うクラスの人間もウチの養女が箸をたくさん持っているのを知り、もらいに来る。終いには上の学年からも箸をもらいに来る生徒が出てきた。生徒が1400人も居るような大きな高校だと、恐らく毎日のように箸を忘れてくる生徒が一人ぐらいはいるに違いないことでしょう。一学期が終わる頃には、全校中に知れ渡り「箸を忘れたらあのインドネシア人のところに行け」という、箸を忘れた人の救済者ぐらいの存在になっているに違いありません。そのうちに2人目3人目の割り箸キープする生徒が出てくるでしょうけど、こういうことはまず最初にやった人間というのが重要なのです。オイ、そこのレンホウ!二番じゃ駄目なんだよ、わかるか?2番目3番目ごときは、下座に大人しく座って黙ってチビチビ飲んでいれば充分だっつうんだよな。

あげる方は割り箸の一膳ぐらいのことで見返りなどケチ臭いことを期待せずに、気前よくあげてやれば良いですけど、もらう方としては割り箸一膳というほんの小さな借りでも「借りは借り」という気持ちが働くこともあります。何とも思わない人もいるのも間違いないですけど。「あの時、箸をもらってちょっとだけ助かった」という記憶は将来的に心の片隅に案外残ったりするもので、「あの時、箸をもらったおかげで弁当が普通に食べられた、今度見かけたらぶん殴ってやる」、という気持ちはサイコパスでもない限り普通起こらない。「あいつは気が利く奴だ」という印象を持ってもらえれば、20年30年経った後で、思いもかけず何かの役に立つことがあるかも知れないです。

1000円も出せば買える箸50膳の小さな投資、というか大人の悪知恵を吹き込んだというお話でした。

もっと悪知恵を発展させると、貯金箱を用意しておいて、箸と引換に「志で結構ですが、震災に遭われた人に寄付しますので」と金を取れば良いです。自分のポケットに入れるのだろうと疑われるのも心外なので、最初に10000円ぐらい寄付しておいてレシートをくっつけておく。10000円を最初に寄付しておきましたので、それまでご協力お願いしますぐらいのことを言っておけばOK。これで誰も金を払うのが嫌だという文句を言う者はいないだろうし、箸を忘れたら慈善まで出来てしまうと言う一石二鳥の大効果だ。「公金は俺が好きなように使うし、身銭は一切切らないというセコい都知事みたいな人間としてかなり恥ずかしい輩」ではなく、強引に金をぶんどってくるけど本人は最初に身銭を切り、至って無欲で清廉という、今の日本に一番必要とされている人物像を演出出来ます。しかしここまでやってしまうとこれはもう高校生が考えつくことではなく、誰か大人が入れ知恵したに違いないと疑われるのは間違いないので、ちょっと考え物ではありますが。