2015年1月28日水曜日

20年前に別れて、10年ぶりに連絡を取った元GF

10年一昔と言いますので、20年前だともう昔昔と言って良いかと思いますが、その昔昔に3年ばかり一緒に暮らした女の人がいました。私が25の時に別れたのですが、その後彼女はずっとインドネシアのバリに住んで、今でもそこで暮らしてます。別れたときもお互い憎しみあって泥沼ということでもなく、「またいつか機会があれば一緒に暮らそう」と、まあ実際はそんな格好良くはないかもしれないけど、まあそれほど悪い別れ方でもない、そんな感じです。

10年ぐらい前に、Googleで名前を検索したら出てきたので、一度メールを書いて近況を報告し合い、連絡が途絶えてまた年月が経ちすっかり忘れかけていた頃、彼女の同じ出身地で同じ名字の方が当店でモノを購入され、同じ町名でそれほど大きな地域でもないのでもしかしてご親族の方か?というところで思い出した。

「そういえばまた10年が経ったではないか」

早速、10年前のメールを探し出し、同じアドレスにメールしてみました。

しかし返事は来ません。ああこれは転職してメールアドレスが変わってしまったのだな、仕方がない、今回は縁がなかったのだ。また10年後に探してみようと言うことで、と放っておいたら、

「あなたメールの返事ぐらい書いたらどうなの!」

となかなか勢い良く、懐かしい声で国際電話がかかってきました。メールの返信をすぐにしたのに私からの返事が一向に来ないのでシビレを切らしたらしい。
メールなんて来てないんだけど?と思ってゴミ箱を見たら、何と!あるではないか。しかも2通も、、、これはスマンかった。
スパムフィルターがゴム箱に突っ込んでいました。スパムフィルターは便利なのですが、たまに重要なメールもゴミ箱に突っ込むのが困りものです。

私もダラシナイのでメールの返事を忘れるときがあるので、ラインでということになったのでした。ラインは実にいかがわしい問題のあるソフトですが、普及度も高く便利と言えば便利です。

色々この20年の事を話してみると、やっぱり彼女は実にすごい女だ。金もないコネもない、しかも現地の言葉だって話せない一人の女が海外に行って20年生き抜くことができるのは、そんなの100人に1人いるかって根性と精神力だ(もちろん今はきちんとインドネシア語が話せる)。生き抜いただけではなく良い生活をしている。私にはとても無理。もう人間の格が違いすぎてとても敵わない。ヒトコトで言ってしまうと、「ただ者ではない」、もうこれ以外に言いようがない。
しかも歳取った今でも美人だしいい女だ。これだけいい女はそうそういるものではない、私の世界が狭いだけかも知れないけど、この人以外に見たことがない。


いくらすごい女と言っても、しなくても良い苦労をさせてしまったという、どこか相手に自分のせいでこうなったという気持ちがあるので、しばらくすると結局やっぱり謝る。だが、どうやらお互いにそういう気持ちをもっていたようだ。やっぱり3年一緒に暮らして気心の知れた仲だ。そのあたりは昔と変わってないんだな。若い頃この人に色々面倒を見てもらって本当に良かったよ、20年経った今、改めてそう思った。22~25歳という大人としての人間の形成期に、私はこの人の影響を強く受けたわけで、今思えばその大切な時期に彼女のような模範(当時そんなことは思いもしなかったが)から薫陶を受けたということは、かけがえのない経験であることはもう間違いない。
出会ったことも一緒に暮らしたことも、そして別れたことも決して間違った選択ではなかったのだろうなと深く実感したのでした。

しかしながら多少の歳の差があったとは言え、彼女は今の私よりも当然ながらずっと若かったのだけど、どうしてあれほど大人だったのだろうか?これは今でもかなり不思議に思う。大体今45歳の自分も周りにいる同年代の友人たちも、どこか大人になりきれてないような奴ばかりだ。


そういえば当時彼女が開いていたカフェは、今どうなっているのだろうか?近くを通ったのでGoPro持って寄ってきました。10年前に来たときは、このビルのオーナーが居酒屋をやっていたのですが、今はNY出身の黒人の兄貴がなかなか良い感じのカフェをやってました。

ブラザー、俺の話を聞いてくれ!Long time ago, about 20 years ago, my ex-girlfriend was runnnig a cafe here, just this place.

と、こんな感じで兄貴としばらく会話をして、「また来るよ、たぶん10年後な」。
「今度はその彼女と一緒に来いよ」
優しいブラザーのヒトコトが心にしみる。

早速彼女に見せたら、「うーん、変わったと言えば変わったし、変わってないと言えば変わってないな」だとさ、、、せっかく撮ってきたんだから、もっと感動してもらえんでしょうかねぇ?

彼女と住んだアパートを引き払うとき、まるで夜逃げのように家財一式をすべてトラックに積んで名古屋から富山まで下道で往復したあの日のことはまるで昨日のことのようだ。

最後に大切な宝石を「どうしても困ったらこれを売れと」言って私に渡してくれたのは、忘れようにも忘れられない大切な思い出だ。

俺は20年前のまだ小僧だった頃、まさしくこの女に面倒を見てもらったのだ。

ただその大切な宝石を私はなくしてしまっているという事実は、まあこのあたりが私の人間としての限界というか、感動的なエピソードでもきちんと間抜けなオチを知らず知らずにつけてしまうと言う、何というのかな、やっぱり私はちょっと残念な人だということです。