2026年11月8日日曜日

夜中に突然起こった地震

 2026年11月8日午前1時頃にいきなりスマホがすごい勢いで鳴り出したかと思ったら、すごい揺れでした。私が住んでいるところは震度4ぐらいでしょうか、何がすごいって、猫が驚いて気が狂ったように走り回って、一匹なんか失禁していました。大地震が来たら3匹の猫を一体どうするか?と心配になります。人間が大変な時に避難所に堂々と、全然言うことを聞かない猫を連れて行って迷惑をかけるわけにも行かないです。緊急時にはペットというのは非常に頭の痛い問題です。

ニュースでも本屋で棚の本が床に散らばっていたり、ショールームのガラスが粉々に割れていたりと、場所によっては結構な被害が出たようです。幸いなことに、家も仕事場も小さなものが倒れたとか落ちたという軽症で済んでいます。

愛知は10年以内に南海トラフ地震が来る確率がかなり高いと言われていますが、今回の地震は関係は薄いようです。しかーし、日本に住んでいる限りいつ来るかわからないのが大地震です。

神戸の大震災を経験した人が、大震災時にものすごく役に立つから絶対に用意しておいたほうが良いと言っていたのがバールです。「バールのようなもの」ではなく、ゴツい1.5mぐらいの長さのしっかりしたロングバールです。開かないドアをこじ開けるときや、大人の人間でも動かせない瓦礫もテコの原理で何とか動かせるし、建物の外壁をこじって剥がしたり、突けばガラス窓や家屋の外壁も破壊できるというもので、本格的な救援隊がやってくるまでの間はとても役に立つ、というかバールがあれば助かる命がある、ということです。50cmぐらいの釘抜がついている小さなバールだと「ないよりはマシ」程度ですので、面倒くさがらずにロングバールを一本持っておいたほうが安心できます。以下を参考にしてください。ついでに作業用の革手袋(1双300円くらいのもの)もついでに用意しておいたほうが安心です。

  1. 「一体鍛造(パイプではない鉄の塊)」を選ぶ
    • 防災・救助用には、中空の軽量パイプタイプではなく、鉄が詰まった重い「一体鍛造品」(ピンチバールやテコバール)を強くおすすめします。
    • パイプ型は軽くて扱いやすい反面、極限の負荷(コンクリートの塊を持ち上げる、鉄筋を曲げるなど)がかかった際に折れたり曲がったりするリスクがあります。鉄塊タイプは5〜10kgと重いですが、絶対に折れない安心感があります。
  2. 先端の形状は「平(ヘラ)型」や「ピンチ(片刃)型」が有利
    • ドアの隙間、サッシ、瓦礫のわずかな隙間にグッと差し込めるよう、先端が薄く鋭利になっているものが大活躍します。
    • 先端を差し込んでから、体重をかけてこじ開けることで、歪んだ玄関ドアやシャッターを破壊・開放できます。

2026年11月3日火曜日

史書サイトの大進化と最後の楔。「太平寰宇記」map化

しばらく中央アジア史の荒野をさまよっておりましたが、やっぱり史書は面白い。何が面白いかと言えば、「読者が楽しんで読めるように書かなくてどうする?」という書き手の意気込みが、千年以上の時を超えてビシビシと伝わってくるところなのであります。

これはわたくしの勝手な想像ですが、科挙に合格したような秀才の編集員が、渾身の原稿をプロジェクトマスター、今風に言えばプロデューサーに見せたところ、

「お前の書く話はつまらんのう。読んでもらいたかったら、もっと話を盛ってもええから、おもろい話を書かんかい!没、ボツ、ボーツ!!」

と一喝され、原稿を宙に放り投げられて当代一の秀才が泣きながら原稿を書き直している――そんな光景が目に浮かぶのです。正史というお堅い看板の裏側で、案外そういうやり取りが日常茶飯事だったのではないか?という気がしてならないのでした。

🗺️ 中国のAIユーザーが作った「江山地図」

とある日、SNSをぼんやり眺めていたら、中国のAIユーザーが戦国時代から現代までを網羅したインタラクティブ地図をGitHubで公開しているという話が流れてきました。

これを使わずして何を使う?というわけで、早速わたくしの史書サイトにAIに日本語に翻訳してもらって導入してみた次第です。

🔗 リンク

・史書サイト:https://aki-asahi.com/hobby/史書/史書.html
・元ネタ(GitHub):https://github.com/DeanChensj/jiangshan-map

⚔️ 韓信の行軍路を追いかける

まずは国士無双・韓信の行軍路。背水の陣で有名な「井陘口の戦い」、そして川を半分渡らせたところで堰を切って敵を押し流した「濰水の戦い」などの進軍路が見られます。

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の内容が、地図上に表示されると妙に現実感を覚えます。

🏔️ 高仙芝、パミールを越える


「タラス河畔の戦い」で有名な高仙芝将軍の行跡も追えます。

ヒンドゥークシュの峠越えに、厳寒のパミール越え。現代人が装備を整えても命がけの行程を、唐の軍勢は馬と人力でやってのけていたのかと思うと、ただただ感動を覚えるのであります。こいつはただの気違いではないぞ?という執念を感じます。
おい、戦象を連れてアルプス越えしたハンニバルみたいに頭のおかしい奴が東洋にも居たぞ!しかも高句麗出身の奴がユーラシア西域で戦っているとかもうわけがわからんという気分です。
……でもまあ、肝心のタラス河畔の戦いでは自分の強欲が撒いたやらかしのせいで散々に負けたんですけどね。そこが人間らしくて良いのです。

東晋の劉裕(のちの宋の武帝)の北伐ルートなど、その他の有名な軍事行動も、また追々追加していこうと思っております。

📜 「太平寰宇記」という名の睡眠導入剤

江山地図は文句なしに素晴らしいインタラクティブ地図なのですが、他人様が作ったものをありがたがって拝んでいるだけでは芸がない。わたくしも多少はクリエイティブなところを見せねばなるまい、と妙な対抗心が湧いてきまして、そこで宋代の地誌「太平寰宇記」を元に、当時の中国の行政地図をAIに作ってもらうことにしました。

この資料、中身はひたすら「この町から何里のところにあの町がある」というような記述の羅列です。以下、焉耆國の箇所引用。
長安を去ること七千三百里、西南は都䕶の治所まで四百里、南は尉犁まで百里、北は烏孫と接する。東は交河城を去ること九百里、西は亀兹を去ること九百里、皆砂磧である。その国は海に近く、水は魚塩蒲葦の利が多い。四面に大山があり、道は険阨にして守り易し。海水は曲がりて四山の内に入り、内はその城を匝ること三十余里。
お前は一体何を言っているんだ?ちんぷんかんぷんだぞ。海って流石にインド洋のことではないよな?
という感じでわたくしのような素人がそのまま読み始めたら、3分で「もうお腹いっぱいです」と本を閉じるか、5分で深い眠りに落ちるか、いずれにせよロクな結末にならない代物なのであります。
余談ですがNHKオンデマンドで、NHKシルクロード シーズン1 (石坂浩二のナレーションのもの)エピソード10(2分20秒~)を見ていて、おいおいこれはもしかして!?と思って調べてみたら、

焉耆國に記述されている「海」というはボステン・ノール(NHKシルクロードではボストン・ノールと称)の事で、ここから孔雀河(コンチェ・ダリヤ)がこの湖(ボステン・ノール)の南西端から流れ出しており、かつてはロプノール(羅布泊:彷徨える湖)まで注ぎ込んでいたのでした。NHKシルクロードの映像では鉄門関の隘路とそこを流れる孔雀河の急流の様子が映っていましたが、この映像ってもしかして太平寰宇記の「四面に大山があり、道は険阨にして守り易し」という説明そのものなのではないか?まさに感動です。
こういう読んでもわからん地誌資料の正しい使い方は、もう地図にしてもらう以外にないでしょう。というわけで、Argonに「太平寰宇記」を読み解いてもらい、地図を描かせてみました。

わたくしが手作業でやったら10年経っても終わらない、いや、3日も経たずに途中で投げ出して永遠に終わらないであろう作業です。さすがのAIでも相当苦戦するだろうと高を括っていたのですが、Argonは20分ほど黙々と思考したかと思うと、涼しい顔ですんなり地図を出してきたのでした。人間の10年がAIの20分。もはや比べるのも失礼な話です。
良い時代になったなぁ。5年前だと 太平寰宇記を地図に落とし込もうなどという大逸れたことを素人がやろうなどと考えることも出来ない時代だった。


🔗 太平寰宇記マップ

史書サイトを下にスクロールしていくと出てきます。直接開く場合はこちら。
・https://aki-asahi.com/hobby/史書/太平寰宇記/index.html


見事なマップになりましたよ。

正直に申し上げると、内容の検証は「これは明らかにおかしいだろう」という箇所をつまみ食い的にチェックしただけなので、完全に正しいかどうかまでは保証いたしかねます。わたくしがやったことと言えば、AIに「やっといて」と頼んだことくらいなのですが、それでも何だか自分が成し遂げたかのような、妙な満足感があるのでした。地図をポチポチするって、やっぱり楽しいな。でも日本の東あたり書かれている「女國」の内容を見ると「男は人身狗頭でその声は犬吠のようである」のように人間と言うよりも珍獣扱いされていて、一体どんなワンダーランドだよ?と愕然とします。日本に60年近く住んでいるけど、そんなやつは見たことないぞ?と思うけど、所詮中華世界から見たら東夷扱いだから仕方がない。

太平寰宇記を書いた人も1000年後ぐらいにその珍獣の子孫みたいなのがAIに地図を作らせて、ポチポチと地図のあちこち押して歓喜しているなどとは想像だにしなかっただろうと思います。

Githubにデータを上げてありますので、ローカルでも使用可能です。
https://github.com/akiasahi2008-hue/taiping-huanyuji-atlas

🔨 人間が打ち込む最後の楔

ただ、おそらく1、2年もしないうちにAIはさらに進化して、こういう歴史まとめサイトは必要なくなる、もしくは存在意義そのものを失うだろうと思います。

今でも「韓信の進撃路をマップで描いて解説して」と頼めば、AIはさらっと描いてくれるでしょう。AIトークンを湯水のように溶かす覚悟さえあれば、解説動画だってその気になれば作ってくれるはずです。近い将来、それがもっと身近になり、ほとんどAI任せで済んでしまう時代がやってくる。

そう考えると、人間が能動的に「こういうマップを作ってくれ」と言い出して、歴史という大地に自分の楔を打ち込めるのは、今が最後の機会なのかもしれません。科挙に受かった秀才が「おもろい話を書かんかい!」と原稿を投げつけられていた時代から千年。今度は人間のほうが、AIに原稿を投げつけられる側に回る日も、そう遠くはないのでしょう。

地図を眺めるのがお好きな方は、ぜひアクセスして、ポチポチとクリックしてみてください。

2026年10月25日日曜日

葬儀に伴う休業

先々月あたり、父親が内臓の不調で入院いたしました。

87歳という年齢です。医者の見立ては「手術に耐えられるだけの体力はもう残っていないでしょう」というもので、こちらとしても異論を差し挟む余地はなく、「では、諦めましょう」ということで話がまとまりました。延命のために本人を手術台という名の最終決戦場へ送り出したところで、勝ち目のない戦いになるのは素人目にも明らかだったのです。逼迫している国家の医療費を無駄にするのは、未来のない老人のために無駄にするのは本人は決して望んでいないことです。
「老兵は死なず、単に消え去るのみ」

というわけで、しばらくは家で過ごしていたのですが、先々週、とうとう家の中でもほぼ寝たきりの状態になりまして、再び入院させたのが10日ほど前のことでした。

🕯️ 「そろそろ」の電話

10月25日の午後2時頃、病院から「そろそろかもしれません」という連絡が入りました。

取るものも取りあえず、20分後ぐらいには病室に駆けつけたのですが、ベッドサイドモニターに目をやると、心拍数の表示はすでに「0」。

「そろそろ、というより、この状態はどう見てももう息してないでしょ?」
心の中で、思わずそうツッコミを入れてしまったのでした。

見事に間に合いませんでした。病院の「そろそろ」という言葉は、どうやら「すでに」という意味も含んでいるらしい。人生最後の局面においても、日本語の婉曲表現というやつは律儀に仕事をするものなのであります。

✍️ 最後の筆談

わたくし自身は前日の夕方に見舞いに来ておりましたので、結果的にはそれが最後の対面となりました。

耳が遠かったので、やり取りは筆談です。
「どこか痛むか?」
「誰か会いたい人はいるか?」
「明日もまた来るよ」
これが、わたくしが父親に向けた最後の言葉でした。

父親は意識が半分あるのか無いのか、というような状態で、何かを言おうとしているのは分かるのだけど、声にならない。結局、何を言いたかったのかは永遠に分からずじまいです。まあ、87年も生きてきた人間が最後に言い残したいことなど、案外「腹が減った」とか「こんなぐらいなら死んだほうがマシだ」ぐらいのものだったのかもしれません。そう思っておくことにします。

そして「明日もまた来るよ」という約束は、半分だけ守られたという次第です。来るには来たけど、20分ほど遅かった。

2026年10月25日 午後3時11分
永眠
享年87歳
本当はもうちょっと前ですけどね。この時刻は、医師が死亡を確認した、いわば「公式記録」というやつなのでした。

🍂 終わり良ければ全て良し

87歳です。割と健康に生きてきた人なので、もう誰も、何も悲しむ理由はありません。

何より、ほとんど介護の世話になることもなく、最後のわずか10日ほどを寝たきりで入院しただけで逝くことができた。長年の介護で家族全員が疲弊しきってしまう、という話がそこら中に転がっている現代社会において、これはもう実に理想的な人生の仕舞い方と言えましょう。

「終わり良ければ全て良し」

これ以上ふさわしい表現を、わたくしは知りません。

🌾 風のように

一介の庶民として、静かに生きて、サーッと風が吹いたら、いつの間にか居なくなっていた。

歴史に名を残すわけでもなく、誰かに大げさに惜しまれるわけでもない。けれども、そういう生き方こそが、ある意味では「理想的」な生き方だったのではないかと思うのであります。

残された我々も本人の意思を汲んで、誰も呼ばずに、ひっそりと葬儀を執り行っているところです。正直、鬱陶しい親戚がわんさと現れて、ガヤガヤとやられてはたまったものではありません。というか、その親戚も似たような年齢なので、実際のところ、参列することは難しいというものです。

残した金は350万。葬儀代に90万、お坊さんへのお布施は相場よりも10万円追加して35万。余裕で足りています。老後2000万問題は、仕舞い方次第で数百万円でも困ることはない、ということを体現した終わり方でした。まあ、土地家屋という面倒くさいものの処理は残っているのですが。

さて、どうせわたくしもそのうち同じ道をたどることになるわけですが、果たしてあの父親ほど見事に、風のように退場できるものかどうか。まったく自信はないのでした。

実はもう一人、頭は認知症、でも足腰は丈夫。プラスアルファで精神異常者というかなり厄介な人間が残っていますが、これはまた追々話をする物語です。

2026年10月5日月曜日

寝て過ごした日曜日

DIARY SICK DAY FORCED REST
🌙
z Z z
寝て過ごした日曜日
A SUNDAY LOST IN SLEEP
SYSTEM STATUS: FORCED SHUTDOWN ── REBOOTING ON MONDAY

日曜日だというのに、なんだかんだと細々した仕事を片付けているうちに日が暮れていく。いったい本当の休みはいつ来るのか?――というのが、わたくしの仕事というものなのであります。

もっとも、これは私に限った話ではありません。私の知っている個人事業主というのは、だいたいこんなものです。ただし、不動産管理業(地主に限る)の方々だけは別枠なのでした。

不動産管理業という職業をバカにしているわけでは決してありません。ただ、彼らの多くは「何もしていないと見栄えが悪い」という理由で、わざわざ別の事業を営んでいたりするのです。

食うために事業をやるのではなく、暇でブラブラしていると世間体が悪いので、まあ適当な事業でもついでにやっておくか――という発想。食うために日曜も机に向かっている身からすると、もはや別の惑星の住人の話を聞いているような気分になります。

本当にすごい。実に羨ましい話です。

稀に不動産管理業で別事業を何もしていない人もいらっしゃいます。一体余った時間で何をやっているのかと言うと政治活動をしている。熱血左派で街宣活動を主にしています。プロレタリアートではなく、金も時間も充分に持て余している現代貴族のようなブルジョアジーが熱血左派の活動をしているというのを見ると、世の中と言うのは実に興味深いものだと感じます。

また食通が高じて自分で居酒屋とか小料理屋をやっている人というのもいます。儲けるつもりが全く無く、ただ単に自分の求める味を追求している求道者系居酒屋なので、価格に対して圧倒的に美味しいものが食べられるのは良いのですが、きちんと的を得た感想を言わないと店主が不機嫌になるという高難易度の店です。当然客層も食通達で、「美味しい」ぐらいしか感想が言えない私としては居心地が悪い店です。常連客は舌に自信がある食通ばかりが集まります。安くて美味しいものを食いたいとかいう図々しい人間がとても入れない一種独特で研ぎ澄まされた空間ができあがります。そして大抵の店主は成人病を悪くして一部から惜しまれて閉店します。

違う方向性としては自分の麻雀仲間達と毎日麻雀がやりたいという理由で雀荘のマスターになり、麻雀が終わったら一杯引っ掛けたいので隣にスナックを自分の物件に作ったという人も居ました。だいたいお察しの通り50代で糖尿を患い不便な生活をされていました。

ちなみにみんな良い人たちばかりです。この人たちが悪人だったら世の中も少しは救いがあるんだけどなぁ、、、と思ったりしますが、大概良い人です。


強制終了ボタンは突然に

ただ、そんな私にも強制的に休みが訪れる時があります。風邪をひいた時です。

今回は金曜の夜、眠っている最中に強烈な悪寒に襲われ、朝起きたら見事に熱が出ていました。体という名の古いPCが、こちらの都合などお構いなしに強制シャットダウンを仕掛けてきたという次第です。

それでも土曜日は、なんとか仕事を片付けようとフラフラしながら机に向かいました。熱を押して働く姿というのは、傍から見れば美談でもなんでもなく、ただの往生際の悪さに過ぎないのですが。


ひたすら寝るコース

そこから先は、もはや生活というより「食べる → 眠剤 → 寝る」の無限ループでありました。

金曜 深夜 ── 🥶 強烈な悪寒

眠っている最中に体が警報を鳴らし始める。

土曜 朝〜夕方 ── 🤒 発熱、それでも仕事

フラフラしながら、なんとか仕事を片付ける。

土曜 17:00 ── 🍚 おかゆ

おかゆを食べて寝る。が、こんな時間に寝ても3時間後ぐらいには目が覚めてしまう。

土曜 夜 ── 🥩 冷凍の牛丼

冷凍の牛丼を食べて、眠剤を飲んで寝る。💊 1

日曜 朝 ── 🥤 おかゆ+野菜ジュース

おかゆだけでは栄養バランスが悪いので、野菜ジュースを追加。眠剤を飲んで寝る。💊 2

日曜 昼 ── 🍜 袋麺+野菜ジュース

袋麺と野菜ジュース。眠剤を飲んで寝る。💊 3

日曜 夜 ── ❓ 記憶なし

何を食べたかは忘れた。とにかく眠剤を飲んで寝る。💊 4

月曜 朝 ── 🌅 再起動

なんとか生還。

このループを延々と回し続けると、さすがに体のあちこちが痛くなってきます。寝すぎて痛いというのは、贅沢なのか拷問なのかよくわからない状態ですが、それでもとにかく眠剤の力を借りて、ひたすら意識を手放し続けたのでした。そんな中で空気を読まないうちの猫は「とにかく外に散歩に連れて行け」と騒ぐのですが、無理無理と無視していたら、トイレ以外のところでシー(おしっこ)して示威行動までしやがって、もう本当に手間がかかるのでした。

×4 眠剤
×2 野菜ジュース
??? 日曜夜の献立

パラレルワールドに消えた一日

今日は月曜日。なんだか昨日の丸一日が、どこかのパラレルワールドに吸い込まれて消えてしまったような、奇妙な感覚が残っています。カレンダーから日曜日だけが、こっそり抜き取られたような気分です。

とはいえ、休養が取れたことだけは確かです。自分では決して取ろうとしない「本当の休養日」を、風邪のやつが首根っこを掴んで無理やり取らせてくれた――という感じでしょうか。

この一日は無駄だったのだろうか? 正直、よくわかりません。でも、きっと無駄ではなかった。そんな気はしています。

風邪はだいぶ良くなりました。また「今日もなんかすごい量の注文が入っているな」とぼやきながら、今週を始めたいと思います。

日曜日 ── 消息不明
月曜日 ── 通常営業に復帰

── 本日も注文処理中 ──

── FIN ──

2026年10月1日木曜日

地球の裏側へ スマートタグの旅 6

SMART TAG ADVENTURE FINAL
NAGOYA → TOKYO → PARIS → SANTIAGO → MARÍA ELENA → ANTOFAGASTA → SANTIAGO → JAPAN
地球の裏側へ
スマートタグの旅 6
↩
A SMART TAG'S JOURNEY — FINAL
RETURN TO SENDER ── MISSION INCOMPLETE

前回投稿(スマートタグの旅 5)からずいぶん時間が経ちました。

結論から申し上げると、大変残念な結果になりました。双六で言うなら「振り出しに戻る」、いや正確には「振り出しすら通り越してスタート地点の裏側まで行ってから戻ってきた」という、壮大なる徒労の旅でありました。


マリア・エレナでの長い沈黙

マリア・エレナで1ヶ月ほど留め置かれた状態が続いていたので、これは砂漠の真ん中で座礁したかと半ば諦め気味になっておりました。もう動きそうもないなと思いつつ、たまにFind Hubを覗いてみる日々だったわけであります。

2026/09/27 ── 🇨🇱 アントファガスタへ移動

ところが9月27日、アントファガスタに移動しているではないですか。

アントファガスタへ移動

アントファガスタから別ルートでキジャグアに向かうのか? いや、そんな遠回りの配達ルートはさすがにないだろう。嫌な予感がした次第です。


引き返す荷物

── 🇨🇱 アントファガスタからの経路 アントファガスタでの位置
2026/10/30 ── 🇨🇱 サンティアゴ中央集配局に帰還

サンティアゴの中央集配局に戻ってきました。これはもう完全に返送ルートに乗ったという話です。

サンティアゴ中央集配局
2026/10/01 ── 🇨🇱 サンティアゴ空港付近

サンティアゴ空港の近くに戻ってきたので、あとは飛行機に積まれて日本に強制送還されるのでしょう。行きは期待に胸を膨らませて追跡していたこの経路を、今度は敗走ルートとして逆走しているかと思うと、何とも物悲しいものがあります。


経路の全容

NAGOYA ✓→ TOKYO ✓→ PARIS CDG ✓→ SANTIAGO ✓→ MARÍA ELENA → QUILLAGUA
↩ RETURN
MARÍA ELENA ← ANTOFAGASTA ← SANTIAGO ← JAPAN ?

なぜ届かなかったのか

戻される正確な理由はわかりませんが、砂漠の僻地に荷物を送ろうとした身としては、いくつか思い当たる節があるわけであります。

  • 地図で見るとキジャグアには郵便局が存在しない。マリア・エレナまで本人が取りに来る必要があったのではないか。砂漠のど真ん中に住んでいる人間に「郵便局まで来い」というのは、もはや試練の類である。
  • 関税を払えと言われて、「そんな荷物は知らん」と突き返された可能性。身に覚えのない国際郵便が届いたら、普通はそうなるだろうという話です。
  • そもそもキジャグアに郵便を配達するルート自体が存在しない。とりあえずマリア・エレナまで運んでみたものの、その先に行く手段がないのでしばらく放置された挙げ句、自動的に返送処理された、という可能性。

いずれにせよ、「世界で一番雨の降らない町」へのルートは、郵便インフラという名の高い壁に阻まれたのでした。水すら降らない場所に、小包が降ってくるはずもなかったという次第であります。


壮大なる旅の総括

¥550 郵便料金
2ヶ月+ 旅行期間
≒34,000km 推定総移動距離(往復)

郵便料金わずか550円で地球の裏側まで送り届けられ、そして(たぶん)日本にいる私の手元にまで帰還してくるという壮大なルート。2ヶ月以上をかけて太平洋とヨーロッパと南米大陸を股にかけた旅行を、スマートタグは静かにやり遂げたわけであります。到達こそできなかったものの、550円でこれだけの旅程を踏破するというのは、ある意味国際郵便という文明のバグを突いたような壮挙ではないかと。

ちょっと残念な結果ではありましたが、スマートタグの方もさすがに疲れたことでしょう。しかし休息はまだ早い。今度は新たな僻地を探して、再び旅に出てもらわなければなりません。

中央アジアには飛び地があちこちに散らばっていると聞いたことがあります。ウズベキスタンの中のキルギスとか、キルギスの中のウズベキスタンとか、国境線が酔っ払いの描いた落書きのように入り組んでいる地域があるらしいのです。その中の僻地っぽいところを見つけ出して、次なる旅の目的地にしたいと考えている次第です。

スマートタグの旅 第1章 ── 完結
キジャグアには届かなかったけれど、
550円の冒険は十分すぎるほど楽しませてもらいました。

── 次の目的地を選定中 ──

── FIN ──

2026年9月20日日曜日

世界征服者史の翻訳ページ大進化の巻

📜 MONGOL HISTORY 🤖 AI VISUALIZE 🗺️ EURASIA MAP
تاریخ جهانگشای
世界征服者史の
翻訳ページ大進化
◆ ─── ◇ ─── ◆
GENEALOGY × STATES × MAP

世界征服者史の翻訳文を、歴史小説でも読むような軽い気分でページを開いてみたのですが、これがもう、さっぱりわからない。中国の史書は物語性が強いので歴史小説ぐらいの勢いで読んでもそれなりに楽しめますが、モンゴル史の資料はそういう類のものではないので当然の結果であって、文句を言う方が筋違いというものであります。

何がわからないのかというと、人名、地名、国名、勢力。この四点セットを文章だけで理解しろというのが、そもそも無理な話なのです。モンゴル系の名前ならまだ何とか踏みとどまれる。ところがイスラム圏の名前が登場した途端、遠い文化の似たような響きがぞろぞろと行列をなして押し寄せてきて、誰が誰やらどこがどこやら、こちらは早々に白旗であります。

研究者の方々であれば、こういう時に自分で図を起こし、人物を一覧にまとめ、白地図に勢力を塗り分けて、地道な作業の積み重ねで頭の中に地図を作り上げるのでしょう。しかしこちらはエンジョイ勢です。そこまでの努力をする気もないし、そもそもする能力もない。だってただの一般人なのですから。

努力せずに、サッとそれなりに理解したい。

この実に虫の良い願望を叶えるために、今回もAIに汗をかいてもらった次第であります。


まずは家系図から

世界征服者史 人物家系図
人物家系図 ── クリックすると原寸で開きます

まず、世界征服者史に登場する人物の家系図を描いてもらいました。

📜 人物家系図
◆縦横スクロール、拡大縮小が自在
◆人物名をクリックすると右側に簡単な解説
◆本文中の該当箇所へのリンクまで出てくる

これが結構便利なんですよ。ただし、これはまだ序の口の段階です。驚くのは後に取っておいてください。

2026年9月15日火曜日

東海豪雨の思い出

最近、名古屋でも記録的な豪雨がありまして、あちこちの川が氾濫寸前という、なかなかに肝の冷える事態になっていました。ニュースで水位ギリギリの映像を見ていると、「ああ、またか」という諦念と、「いやいや、またか、じゃ済まないだろう」という緊張感が同時に押し寄せてくるのであります。

低い土地には住まないという家訓

思い返せば、私が物心つく頃は名古屋の南区や緑区南部の、いわゆる海抜の低い地域に住んでいたのです。床上浸水というのが普通にあった。タンスに浸水の跡がくっきり残っていたりして、それはもう「家具に刻まれた災害の年輪」とでも呼ぶべき代物でした。

そこでうちの両親が下した決断が、「絶対に低い場所には住まない」というものでした。

この家訓は、私もしっかり受け継いでおります。名古屋の南や西の低地に居を構えるという選択肢は、最初から存在しない。東の丘陵地帯に住む。これが大前提です。現在の住居と工房は標高60mという高台にあるので、浸水する可能性はほぼゼロと言っていい。ここまで水が来るようなことがあるとすれば、それはもう日本列島そのものが沈没しかかっている状態であって、その時は何もかも諦めるしかないでしょう。

名古屋市の行政も、南部に水が溜まらないように色々と手を打っていて、国道19号線の地下に通してある巨大な暗渠を見たことがあるのだけれど、あれはなかなかに壮観でした。地下神殿かと思いましたよ。しかしそれでも想定を超える雨が降れば、今回のようなことになる。自然というのは、人間の「想定」などという小賢しい見積もりを、あっさり踏み越えてくるものなのです。

26年前の東海豪雨と、ちょっくら社会貢献の志

名古屋の豪雨といえば、2000年(平成12年)の東海豪雨の記憶が今でも鮮明に残っています。もう26年前になる。

当時も私は高い場所に住んでいたので、自宅に被害はありませんでした。水は低きに流れるのであって、高台の住民にとって豪雨とは「テレビの向こう側の出来事」でしかない。しかし南区あたりでは深刻な浸水被害があり、復旧ボランティアを募集しているという話を聞きつけた。

「ここは一つ、社会貢献でもしてやることにするか」

そんな軽い気持ちで、朝早くから南区役所に足を運んだのでした。ボランティアは4〜50人位は集まっていたのではないだろうか。この時の私は、「ちょっくら社会貢献」程度の心構えしか持ち合わせていなかった。それがどれほど甘い見通しだったか、数時間後に思い知ることになるのだけれど。

なぜか選抜される3人の男たち

一般募集の一日ボランティアの任務は、ジョウロに殺菌剤を入れて浸水した部屋に撒くという、まあ地味だけど チョロそうな 堅実な作業でした。ところがです。なぜか私と、20代の愛知県職員と、高校生男子の3人が別枠で選定された。どうやら「屈強そうではないが、割と元気そうな見た目」をしていたのが理由らしい。察するに男手が必要な作業のようだ。自営業の私とは違って、他の2名はボランティア参加で出勤・出席扱いになるとのことで、まあ彼らにとっては悪くない話なのでしょう。

「中区あたりの指定された場所に行けばそこでやることの指示がある」と言われた。浸水していない地域なのに、一体何をさせられるのだろうかと首を傾げながら3人で私の車に乗って向かったところ、そこには地区の民生委員と区役所職員と思われる方が待っていました。

依頼の内容を聞いて、3人とも一瞬固まった。

何と、この地域にあるゴミ屋敷を片付けてほしい、と。おいおい、そんな話はまったく聞かされてないぞ?でも我々には「嫌だ」と言って帰るような選択肢は無さそうです。だって社会貢献という立派な志でやって来たんですから。正直言うとそんな屁理屈ではなく、これは何となく面白そうな展開になりそうだぞ?という呑気さもありました。役所としても余剰のボランティア人員を割り振って、この機に乗じてゴミ屋敷の片付けをさせてしまおうという目論見ということか。なかなかの策士だな。

場所は確か名古屋市昭和区の白金あたりだったと記憶している。もう四半世紀前のことなので細かいことは忘れてしまったのだけれど、あの光景だけは忘れようがない。

天井まで積み上がった絶望の壁

6畳一間ほどしかない、いわゆるあばら家。その中に、ゴミ・ゴミ・ゴミの山が天井までうず高く積み上げられている。壊れた傘、金物類、割れた陶器、汚れた人形など、何年何十年かけてお婆さんが集めてきた半端物の集大成がそこに山になっていた。そしてそこの住人であるお婆さんは、ゴミの谷間にできた半畳ほどの窪みで寝起きしているという、TVでも見たことがない別世界でした。蟻地獄の底で暮らしているようなものです。いや、蟻地獄の方がまだ清潔かもしれない。

民生委員の中年女性はテキパキと嫌がるお婆さんをどこかに連れ出し──というか、半ば拉致に近い手際の良さで──我々3人にはこう告げた。

「部屋の中にあるもの、一つ残らずすべて運び出してください」

すべて、である。「視界に入るものは四の五の言わずに無選別に全て始末しろ」という無慈悲な不要品殲滅作戦の号令が下ったのです。「よーし、やったるでー!」というカチコミの気分で天井まで積み上がったゴミの山の片付けを3人で始めたのですが。6畳とはいえ、天井までギッシリ詰まったゴミの総量を私は完全に見誤っていたのでした。

6畳の罠──ゴミの量を舐めてはいけない

近所に、とある会社の駐車場があり、そこをゴミの仮置き場として使わせてもらう段取りがついていたので、3人でひたすらゴミを運び出す。運ぶ。運ぶ。ひたすら運ぶ。

しかい午前中4時間やっても、全く先が見えない。昼休憩の頃にはゴミの殲滅どころか敗色が濃厚になってきた。

おそらく30%も運び出せていないだろう。6畳という数字に騙されてはいけないのです。6畳の床面積に天井までの高さを掛け算すると、そこに詰め込まれた物量というのは人間の直感を遥かに超えてくる。これはもう「たかが6畳」ではなく「恐るべき6畳」なのであります。

このまま3人だけでは、日が暮れても終わらない。そう判断して役所に電話をし、悲惨な事情を説明して昼から10人ほどのボランティアを増派してもらった。流石に人海戦術というのは効果的なもので、増員後は2時間ほどで運び出しが完了しました。数の暴力は正義である、という身も蓋もない真理を体感した瞬間でした。

駐車場の持ち主、仰天す

さて、ゴミの量に度肝を抜かれたのは我々ボランティアだけではなかった。仮置きさせてもらっていた駐車場の持ち主である会社の方が、想定を遥かに上回るとんでもない量のゴミが自社の駐車場に積み上がっているのを見て、明らかに動揺しているのが伝わってくる。

「本当にこれを今日中に片付けてくれるのか?」

心配げに、というか半ば詰問するような口調で念を押してくるのでした。そんなこと、ただのボランティアの私に聞かれても困るのだけれど、でもここで「さあ?わからんですよ。そんなこと役所に聞いてくれよ」と正直に答えたら大変な事になるだろう。

「ご安心ください。責任を持ってきっちり片を付けますから」

と、責任を取る立場でも何でもない人間が、堂々と請け合ったのでした。口から出まかせというのは、窮地においてこそ真価を発揮するものなのです。まあ片付かなかった時には姿をくらませてしまおう、後処理は役所が何とかしてくれるだろう、という軽い気持ちだったのかもしれません。

環境局、素通りする

さらにゴミの量を甘く見ていたのが名古屋市環境局でした。「6畳分のゴミ」という情報を聞いて、余裕だろうと2トン車でノコノコとやってきた。ところが現場のゴミの山をチラ見した瞬間、運転手の顔色が変わり、ダメ!ダメ!と手を大きく左右に振りながら

「乗り換えてくる!」

と叫んで、そのまま素通りして行ったのであります。この潔さは見事なものでした。

30分ほど後、4トンクラスのゴミ収集車で改めて現着。もう可燃だの不燃だの分別だとか細かいことは言ってられません、環境局の職員さんも「とにかく積み込め」と何でもかんでも収集車に押し込んで、6畳一間のゴミを片付けるのに4トン車2往復。環境局の職員さんも長い収集人生で色々見てきたであろうけれど、なかなかに珍しい案件だったのではないかと推察いたします。

「ちょっくら」が「ガッツリ」に変わった日

その日、私は責任者でも何でもないのに、なぜかリーダー扱いをされていた。綺麗さっぱり片付け終わった後に民生委員さんや役所の福祉課の担当者さんに、涙を流さんばかりに感謝されました。聞けば、長年手がつけられなかったゴミ屋敷問題が、豪雨で雨漏りしたという理由をきっかけに、半ば強引にではあるけれど片付けることができて、地域の長年の懸念が一つ取り除かれたのだという話でした。

ただ、ゴミ屋敷の住人であるお婆さんは、かなりガッカリしていましたけどね。あの蟻地獄のような6畳間が、彼女にとっては居心地の良い城だったのだろう。人の幸福の形というのは、他人には理解しがたいものがあるのかもしれません。

そんなわけで、その日は「ちょっくら社会貢献」のつもりが「ガッツリ社会貢献」に化けたという、実に濃い一日でした。これは民間なら1日2万円ぐらいの日当が出てもおかしくない仕事量でしたよ。朝の軽い志が、夕方には全身筋肉痛という形で報われたのであります。ボランティアの対価は筋肉痛。まあ、そんなに悪くない取引だったんじゃないかと、26年経った今でもそう思っている次第であります。