なんでも日本の役所に眠る古い戸籍、特に「明治19年式戸籍」という代物が、あと10年ほどで廃棄の憂き目に遭う可能性があるというのです。自分のルーツ、家系図。普段は「自分はどこから来た馬の骨か」なんてことはこれっぽっちも気にせず適当に生きている私ですが、さすがに「永久に失われる」と言われると、何だか「ちょっと急がないとな」という焦燥感に駆られるわけであります。
ちょうど昨日マイナンバーカードの期限が切れるという、これまた「お役所仕事の洗礼」を受けるべく区役所へ向かう用事がありました。再発行の手続きを済ませたついでに、自分は決意したのでした「よし、今が明治19年戸籍攻略の時ぞ」と。
役所窓口での攻防
動画の教えに従い、窓口でこう告げました。
「自分の戸籍を、すべて遡って取得したいのです。父母、祖父母、その先の一番古いもの限界まで欲しいのです」
すると、窓口の担当者氏は、あからさまに「これまた、この年度末の忙しいときに面倒なのがおいでなすったもんだ……」という、実に見事な「お断り顔」を見せてくれました。「費用がかなりかかりますよ」「とんでもなく時間がかかりますよ」と、暗に撤退を促すジャブを繰り出してきます。
「ここでは一気に全部は出せない」という謎の防衛線(理由は後で判明します)を張られましたが、役所の方を困らせるのは私の本意ではありません。まずは自分のものから、一段ずつ、一段ずつ攻略していく「各個撃破作戦」に切り替えたのでした。というか、そうやれと役所の人にアドバイスされたんですけどね。
敦煌文書か、それとも呪詛か
待つこと10分。自分、そして父親の戸籍が出てきました。ここまでは平穏な事務作業。しかし、その上の世代に突入した瞬間、わたくしは気が遠くなりました。
……読めねえよ。
そこには、活字に慣れきった現代日本人の目を拒絶するかのような、手書きの「崩し字」の嵐が吹き荒れていたのです。もはや文字というより、敦煌文書とか何か遺跡から発見されたような古文書、あるいは何らかの呪文の類にしか見えません。Youtubeに「毎日古文書」という、どこかの大学教授が古文書を呼んで解説しているチャンネルがあり、古文書なんて俺には一生縁がないだろうなぁ、などと思いながら完全な外野として眺めていたのですが、その機会がまさにあったよ。
自分は今や56歳ですが、この数十年の間、手書きの文字などというものは見た記憶がなかったなぁ、ということに気づきました。半世紀以上生きた人間でも、普段目にする文字というのはほぼ全て活字なのです。
幸い、担当の高齢(おそらく再雇用のベテラン職員)の方が、「ここはこうですね」と解読しながら、自分の誤記だらけの申請書を直してくれました。最初の担当者が嫌な顔をした理由が、ここでようやく理解できました。これはもう、通常の窓口業務の範疇を超えた「古文書解読班」の仕事なのです。この不可思議な文字を書いていた役人は「俺はなかなか達筆だろう!」とか得意になって書いていたのだろうか?もしそうだとしたら「他人が読めない字を書くんじゃねえ!」と一喝してきついお灸を据えてやりたいところです。
格闘すること午前中いっぱい。ついに4代前の「明治19年戸籍」という最終防衛ラインに到達しました。
NotebookLMという一撃
さて、この「古文書の束」をどうにかして家系図にまとめたい。とりあえずスキャンして、流行りのAIに食わせてみましたが、まあ読めません。「日本人が読めないものをAIが読めるわけなかろう」という諦念が脳裏をよぎりましたが、最後の望みを託して、Google謹製の「NotebookLM」に画像をすべて放り込んでみました。
暫し待機。……驚きました。
驚愕したのであります。
なんと、NotebookLM氏は、あの呪文のような崩し字を、かなりの精度で読み解いているではありませんか。もちろん、多少の読み間違いはあります。しかし、私が目を皿のようにして一文字ずつ補正していき、「これをもとに家系図を作ってくりゃれ」と命じた瞬間、
できたのです。
見事な家系図が、
そして刮目して見よ。
中村家 家系図 個人情報配慮のため名前と住所は多少変えています。
- 第1世代:中村松太郎(生年不明 - 明治7年12月4日没)、妻チイ(生没年不明)
本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸- 第2世代(長男):中村新吉(慶応3年2月10日生 - 大正10年11月19日没)、妻タノ(慶応3年5月14日生 - 昭和5年2月7日没)
本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸- 第3世代(新吉の長男):倉治郎(明治22年2月8日生)、妻ミテ(明治26年6月29日生)
本籍地(家督相続により新編製):新潟縣東頸城郡大島村大字上達八百四番地弐- 第4世代(長男):勘治(大正12年11月20日生、本籍:同上)
- 第4世代(二男):信芳(大正14年6月17日生、本籍:同上)
- 第4世代(三女):ツチ(昭和3年7月12日生、本籍:同上)
- 第4世代(四男):勇吉(昭和5年5月22日生、本籍:同上)
- 第4世代(四女):ヤエ子(昭和8年5月13日生、本籍:同上)
- 第4世代(五女):フミ子(昭和11年8月24日生、本籍:同上)
- 第4世代(六女):才子(昭和13年3月9日生、本籍:同上)
- 第3世代(新吉の二男):利正(明治30年10月17日生 - 昭和24年1月16日没)、妻ハツ(明治39年5月15日生)
本籍地(分家後):長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地- 第4世代(長男):芳雄(昭和2年8月22日生、出生地:長野縣松本市大字北深志萩町六百参拾九番地)
- 第4世代(長女):みえ(昭和5年9月15日生、本籍:利正と同じ)
- 第4世代(二女):まさみ(昭和7年4月15日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
- 第4世代(三女):幸子(昭和8年11月26日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
- 第4世代(二男):武(昭和14年2月6日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)、妻登紀子(昭和15年4月3日生)
武の婚姻後の本籍地:長野県松本市平田東三丁目八百六拾七番地- 第5世代(長男):陸雄(昭和44年5月5日生、出生地:名古屋市昭和区東郊通八丁目拾九番地)
- 第4世代(三男):勲(昭和16年4月6日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
- 第4世代(四男):功二(昭和18年12月28日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
- 第4世代(女子):眞弓(昭和21年5月13日生、出生地:京都府舞鶴市字溝尻中町八拾五番地)
- 第3世代(新吉の三男):信八(明治33年11月15日生 - 大正10年5月8日没)
本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ) - 第3世代(新吉の長女):トメ(明治40年11月13日生)
本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ)- 第4世代(新吉の孫):福一(大正2年11月15日生)
本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ)
- 第4世代(新吉の孫):福一(大正2年11月15日生)
- 第3世代(新吉の長男):倉治郎(明治22年2月8日生)、妻ミテ(明治26年6月29日生)
- 第2世代(長男):中村新吉(慶応3年2月10日生 - 大正10年11月19日没)、妻タノ(慶応3年5月14日生 - 昭和5年2月7日没)
個人情報配慮のため名前と住所は多少変えています。
私はNotebookLMを完全に過小評価しておりました。これまでは、適当な資料を読み込ませて「へぇ〜、音声解説とかできるんだ、面白いね」とか言って二度と見ない、あまり役に立たないツールだなくらいに軽く扱っていました。しかし、今回の働きは「怒涛の一撃」と言わざるを得ません。泥臭い苦行の果てに、AIという名の聖剣が道を切り拓いてくれた。わたくしは涙を流して感謝したのでありました。ありがとうNotebook LM、あんたはすごいツールだ。ホントだよ。
中村松太郎の末裔として
判明した事実。自分の5代前の先祖は、新潟の地に住まう「中村松太郎」という人物でありました。
私は、中村松太郎の子孫だったのです。おそらく、私の親父すら知らなかったであろう事実。「どこの馬の骨か分からない一庶民」だと思って生きてきましたが、5代前の馬の骨には、ちゃんと名前があったのです。中村松太郎は私の歴史の登場人物だったのです。その松太郎って一体どういう人物って思ったでしょう?「知らんよ、俺だってさっき名前を知ったばかりだよ」。
日本という国が維持してきた「戸籍」というシステムの凄まじさに、今更ながら深い衝撃を覚えます。戸籍廃止なんて議論があるようですが、ふざけるなと言いたい。この連続性こそが、我々が「ここにいる」という証明そのものではないか。
我々が一体どこから来て、果たしてどこに行こうとしているのか?それが歴史の意味であり醍醐味そのものだ。てめえの浅墓で勝手な政治思想で重要なシステムを変えようとするなよ、この阿呆が。
自分のルーツを知る。これほどまでに心を揺さぶられるものだとは思いませんでした。
さて、私には新たな目的ができました。新潟へ飛び、寺を訪ね、過去帳を繰り、中村松太郎のさらなるルーツを辿る旅。
「松太郎!待ってろ。遠い子孫が訪ねて行くぞ」
自分の旅は、今まさに始まろうとしているのであります。
それはいいんだけどさ、この家系図をボケた親父に見せに行ったら、しばらく昔の思い出を語った後にひとこと
「まあ、今更こんなのを見ても仕方がないんだけどな」
だとさ。全くお目出度いもんだよ。
