2022年2月22日火曜日

急展開あるかどうか(刃型屋廃業顛末記 その3)

結局2月19日に私がいつも刃型の製作を頼んでいた刃型制作会社が予定通り廃業をされ、私の作りたいものを熟知していた職人さんが失業しました。

違う刃型屋に頼むのはまた私が作りたいものを理解をしてもらうのに非常に手間がかかるし、カメラの貼り革をカットするような刃型には精度というものがあり、これがキチッとしていないとそもそもカメラに合わないという事になってしまうので、同じ職人さんではないとなかなか難しいのです。


例えば、1つの刃型を作るのに型紙は2種類用意する。右はレーザーでカットしたもの、左はレーザーの出力を抑えて半分だけ切って厚紙に溝をつけたもの。この溝に刃先を合わせて寸分たりとも外れないように刃を曲げて仕上げてくれという、割と無理難題を押し付ける。その代わり曲げる刃は薄くても結構。こういう芸が出来る職人はそこら辺にいるか?もちろん世の中にいると思いますが、その人を探すのも大変だし、精度を出せる腕があっても、実際にそれをやってくれるかどうかはまた別の話です。

私がよく知っている刃型の材料卸業者さんに連絡を取って、どこかその職人さんをねじ込めるような適当な会社は無いものかと、この二週間ぐらい色々と相談していたのですが、今日、卸業者さんから連絡がありました。

とある夫婦でやっている刃型製作所なのですが、そこの親父さんが70過ぎたいい歳で、そろそろ仕事を続けるのも難しくなっていて、引退をしたいのだけど、その失業された職人さんにその気があるなら事業を引き継いでもらいたい、という稀に聞くような良い話が舞い込んできました。

工場、設備、顧客のすべて揃っています。刃型製作は先細りの業種ですが、欲張らず食べていく分+αぐらいならあと20ねんぐらいは行けそうですよ。新規開業するよりも遥かに条件が良いです。あとは本人のやる気だけです。事態は急展開しはじめたかもしれません。

早速、職人さんに連絡をして

「こんな良いチャンスはもう金輪際出てこないから話を聞きに行ったら?」と誘ったのですが、なんかグズグズ言ってます。

結局、今まで30年もの間、人に雇われて過ごしてきたので、自分で事業を運営するという未経験の事を始めるのが怖い。つまりそれです。そういう気持ちはわからんでもない。だがな、今からファッション業界に飛び込んでイッセイミヤケの後を継げとか、そういうトンデモナイ畑違いの話ではなく、今まで30年やってきた同じ業種ではないか。

とりあえず本人だけではそこの会社まで行って、話を聞いてくるまでたどり着きそうもないので、私が一緒に行って話をしてあげるからさぁ、と背中を押しているのでした。

こういうことは全ては本人のやる気次第、只それでけですので、他人がどれだけお膳立てをしたところでちょっと難しいかもしれません。

だが一つだけ言える。男に生まれたからには、一生に一度ぐらい組織や肩書などの後ろ盾がない世界で、自分の身一つ、才覚一本で勝負してみようよ。人間の価値は裸一貫になった時点で何が残っているか、そういうものなのだから。

2022年2月21日月曜日

刃型屋廃業顛末記 その2

副題:「10年前だったら私も刃型屋を開業したかもしれないけど 」

前回、ずっと長く付き合ってきた刃型屋が廃業されるという投稿をしましたが、私も色々努力をしてみた。

私にとって最重要なのは、そこで刃を曲げている腕のいい職人さんで、その人とは付き合いが長いので私が作りたいものがよくわかっている。その職人さんがどこか他の刃型屋に移れば、私もその刃型屋に頼めば何の苦労もないです。

連絡を取ってみたのですが、もう尾張地方も刃型屋というのがあまり存在せず、刃型屋に再就職はしないだろうということでした。

私も10年前の40代前半だったら、客先は今までのものを引き継げば大赤字にはならないだろうから私がその職人さんを雇って刃型屋を開業しよう、ぐらいの勢いがあったのですが、残念ながら50代になるとそういう気概が失せております。

そこで出資案を出してみた。私が100万~200万円出資して、客先を回って説得すればあと200万円ぐらい集まるだろう、そして職人さんの自己資金で200万円、合計500万~600万円を集めれば開業資金ぐらいできるだろうと思って、新規開業の提案をしたのですが、、もうその職人さんも50代で子供も独立して、残っているのはマンションのローンが残り13年ぐらいなので、開業をして朝から晩まで必死で働くような苦労はもう出来ないのです。私も50代だからよく理解できます。

何か人生をかけて勝負をするなら40代までだな。アクセル目一杯吹かして頑張れるのはもう50すぎると難しい。もうシフトダウンの時期だと自分を抑えてしまう。

「お前の人生はその程度だったのか!?」と煽られたとしても、

「はい、その通りで、まさにその程度でもう特に不満はありません。」

いつの間にかそうなってしまっていたのでした。