また熊本で!?、と。
第一報を耳にした瞬間、脳裏に浮かんだのはその一言でありました。
あの地震からようやく立ち上がり、復興という名の長い長い道のりを、歯を食いしばって歩いてきた人たちがいる。その足元が、また崩れたわけです。心が折れた、などという生易しい言葉では到底足りないでしょう。折れたどころか、粉砕されたに違いない。被災された方々の心情を思うと、言葉も出ません。
そして、ここからがいつもの話なのでありますが。
こういう時にワラワラと湧いて出てくる連中というのが、毎度毎度、判で押したように同じ顔ぶれなのです。もはや様式美と言っても差し支えない。
まず現れるのが、「これを好機として自分の政治主張をぶち上げる野党政治家」。被災地をステージか何かと勘違いしているのか、まだ瓦礫の下で助けを待っている人がいるかもしれないというのに、ここぞとばかりに政府の対応がなんだかんだと批判を始める。人の不幸を踏み台にする根性には、もう呆れを通り越して感心すらしてしまいます。
次に登場するのが、「寄付という名目でどこに行くのかわからないカネを集める連中」。善意のカネが途中で蒸発するという、まるで砂漠に水を撒くような壮大な無駄。いったいあのカネはどの異次元に消えていくのか、量子力学の専門家にでも解析してもらいたいところであります。
そして忘れてはならないのが、「報道という名目で被災者の心情も考えず騒ぎを起こしに行くマスコミ」。カメラを向ければ何でも許されると思っているのか、避難所で疲弊しきった人間の顔を執拗に撮り続ける。報道の自由とは、人の涙を無断で切り売りする権利のことではないだろう、と言いたいのであります。
本当にうるさい。頭を抱えたくなるどころか、頭を地面に埋めてしまいたい。
お前さんたちに申し上げたい。震災はお祭りじゃないんです。花火大会でもなければ、選挙の街頭演説の場でもない。人が家を失い、日常を奪われ、絶望の淵に立たされている、その真っ只中に土足で踏み込んで騒ぐというのは、人間としてどうなんだと。良心というものがこの世に存在するのだとすれば、お前さんたちの胸の中には入っていないのだろうか?とりあえずお前たちは邪魔だからどこか行けよ、と言ってやりたい。
今現在、我々のような外野の人間に出来ることは限られています。というより、ほぼ一つしかない。カネを中抜きしない団体――すなわち自治体に、義援金を直接送ること。それだけです。
とりあえず落ち着くまで黙っている。これが出来ない人間がいかに多いことか。被災者の心情を慮るというのなら、まずは口を閉じて、手を合わせていろと、そう言いたいのであります。
この暑い季節の中、想像を絶する状況で耐え続けている被災者の方々が、一刻も早く、ほんの一瞬でも息をつける瞬間を取り戻せることを、どこの馬の骨か分からない一庶民として願ってやみません。