前回、古い戸籍を取って調べたところ、中村善蔵なる人物の戸籍が申請できるのではないか?ということで役所に行って取ってきた。これはちょっと厳しいかなと思ったけど、取れた。NotebookLMに新たに取った戸籍の画像を読み込ませて、出鱈目なことを言い続けるNotebookLMのAIを、戸籍のくずし字を自分で読んで、「お前の行っていることは違うぞ」とシバキあげ、なんとか正確そうなデータにしていく。
そこで色々な事情が透けて見えてきた。
🏠 中村家 本家(大島村大字上達 六番戸 〜 現代)
【久作の系統】
- 父:久作
- 長男:善蔵 【戸主】(弘化元年(1844年)生 - 大正4年(1915年)10月9日没)
※一家の大黒柱。明治20年(1887年)3月10日家督相続。明治37年(1904年)12月30日隠居。大正4年に死亡。 - 二男:清蔵 【前戸主】(明治20年(1887年)頃没)
※タノの最初の夫。 - 弟(二男表記):政吉 (嘉永4年(1851年)生)
※明治28年(1895年)3月5日、2番戸の中村佐平治の養子となる。
- 長男:善蔵 【戸主】(弘化元年(1844年)生 - 大正4年(1915年)10月9日没)
【松太郎の系統】
- 父:松太郎(明治7年(1874年)12月4日没) / 母:チイ
- 女子:タノ (慶応3年(1867年)5月14日生 - 昭和5年(1930年)2月7日没)
※明治17年(1884年)11月4日に「2番戸 中村佐平治の姉」として6番戸へ入籍。善蔵の戸籍での続柄は「亡弟清蔵妻」。- 【1度目の婚姻】 夫:清蔵(久作の息子・亡弟清蔵妻)
- 【2度目の婚姻】 夫:乙松(善蔵の養弟・安政2年(1855年)9月28日生 - 明治26年(1893年)9月8日没)
- 子:長五郎(明治26年(1893年)2月10日生 - 明治28年(1895年)8月28日没)
- 【3度目の婚姻】 夫:新吉(15番戸 武田申吉の三男・曾祖父・慶応3年(1867年)2月10日生)
- 女子:タノ (慶応3年(1867年)5月14日生 - 昭和5年(1930年)2月7日没)
新吉というのが4代前の直系で、武田家という極近い場所、おそらく親戚から中村家に養子に入っている。
戸籍を見ていると、武田家と中村家で人間のやり取りをやっているようだ。同じ村内の他の中村でも取り替えている。家を守るという目的があったのでしょう。でも血はかなり濃そうだね。
そして、驚くべきことは奥さんのタノさんは、同じ家の中で3回も結婚して(弟、兄、養子)、新吉は3人目の旦那ということになる。死別とはいえなんか複雑だね。そして、このあたりは相当血が濃いね。
そして一つのことに気がついた。善蔵、清蔵の親父は久作というのだ。苗字が書いていないということは、おそらく江戸時代は苗字がなかったんだ。大島村の久作どん、これで通じたわけだ。期待をしていた訳ではないが、一(いち)農民として生きてきたのだろう。一生涯一農民。まぁ、悪くはないけどね。
新吉の親の戸籍(武田申吉)が取れるかどうか、これもトライしてみる価値はありそうだ。明治19年戸籍にかかっていればいいけどな。
こう見るとだいぶ明治中期の中村家の理解がちょっとだけ深まった。それにしてもタノはなかなかすごい生き様だね。せっかく生まれた子(長五郎)はすぐに死んでしまったし、それでも新吉と3度目の結婚をして、4人ぐらい子供を産んだから、まさに以前バッシングされていた言葉である「子を生む機械」そのものだよ。こういう強い女がいて、今、私がここにいるわけだ。
親父が生きている間に、なんとか深堀りをしたいものだ。当の親父はどうでもいいみたいに思っているようだけどさ。