最近、名古屋でも記録的な豪雨がありまして、あちこちの川が氾濫寸前という、なかなかに肝の冷える事態になっていました。ニュースで水位ギリギリの映像を見ていると、「ああ、またか」という諦念と、「いやいや、またか、じゃ済まないだろう」という緊張感が同時に押し寄せてくるのであります。
低い土地には住まないという家訓
思い返せば、私が物心つく頃は名古屋の南区や緑区南部の、いわゆる海抜の低い地域に住んでいたのです。床上浸水というのが普通にあった。タンスに浸水の跡がくっきり残っていたりして、それはもう「家具に刻まれた災害の年輪」とでも呼ぶべき代物でした。
そこでうちの両親が下した決断が、「絶対に低い場所には住まない」というものでした。
この家訓は、私もしっかり受け継いでおります。名古屋の南や西の低地に居を構えるという選択肢は、最初から存在しない。東の丘陵地帯に住む。これが大前提です。現在の住居と工房は標高60mという高台にあるので、浸水する可能性はほぼゼロと言っていい。ここまで水が来るようなことがあるとすれば、それはもう日本列島そのものが沈没しかかっている状態であって、その時は何もかも諦めるしかないでしょう。
名古屋市の行政も、南部に水が溜まらないように色々と手を打っていて、国道19号線の地下に通してある巨大な暗渠を見たことがあるのだけれど、あれはなかなかに壮観でした。地下神殿かと思いましたよ。しかしそれでも想定を超える雨が降れば、今回のようなことになる。自然というのは、人間の「想定」などという小賢しい見積もりを、あっさり踏み越えてくるものなのです。
26年前の東海豪雨と、ちょっくら社会貢献の志
名古屋の豪雨といえば、2000年(平成12年)の東海豪雨の記憶が今でも鮮明に残っています。もう26年前になる。
当時も私は高い場所に住んでいたので、自宅に被害はありませんでした。水は低きに流れるのであって、高台の住民にとって豪雨とは「テレビの向こう側の出来事」でしかない。しかし南区あたりでは深刻な浸水被害があり、復旧ボランティアを募集しているという話を聞きつけた。
「ここは一つ、社会貢献でもしてやることにするか」
そんな軽い気持ちで、朝早くから南区役所に足を運んだのでした。ボランティアは4〜50人位は集まっていたのではないだろうか。この時の私は、「ちょっくら社会貢献」程度の心構えしか持ち合わせていなかった。それがどれほど甘い見通しだったか、数時間後に思い知ることになるのだけれど。
なぜか選抜される3人の男たち
一般募集の一日ボランティアの任務は、ジョウロに殺菌剤を入れて浸水した部屋に撒くという、まあ地味だけど チョロそうな 堅実な作業でした。ところがです。なぜか私と、20代の愛知県職員と、高校生男子の3人が別枠で選定された。どうやら「屈強そうではないが、割と元気そうな見た目」をしていたのが理由らしい。察するに男手が必要な作業のようだ。自営業の私とは違って、他の2名はボランティア参加で出勤・出席扱いになるとのことで、まあ彼らにとっては悪くない話なのでしょう。
「中区あたりの指定された場所に行けばそこでやることの指示がある」と言われた。浸水していない地域なのに、一体何をさせられるのだろうかと首を傾げながら3人で私の車に乗って向かったところ、そこには地区の民生委員と区役所職員と思われる方が待っていました。
依頼の内容を聞いて、3人とも一瞬固まった。
何と、この地域にあるゴミ屋敷を片付けてほしい、と。おいおい、そんな話はまったく聞かされてないぞ?でも我々には「嫌だ」と言って帰るような選択肢は無さそうです。だって社会貢献という立派な志でやって来たんですから。正直言うとそんな屁理屈ではなく、これは何となく面白そうな展開になりそうだぞ?という呑気さもありました。役所としても余剰のボランティア人員を割り振って、この機に乗じてゴミ屋敷の片付けをさせてしまおうという目論見ということか。なかなかの策士だな。
場所は確か名古屋市昭和区の白金あたりだったと記憶している。もう四半世紀前のことなので細かいことは忘れてしまったのだけれど、あの光景だけは忘れようがない。
天井まで積み上がった絶望の壁
6畳一間ほどしかない、いわゆるあばら家。その中に、ゴミ・ゴミ・ゴミの山が天井までうず高く積み上げられている。そしてそこの住人であるお婆さんは、ゴミの谷間にできた半畳ほどの窪みで寝起きしているという、TVでも見たことがない別世界でした。蟻地獄の底で暮らしているようなものです。いや、蟻地獄の方がまだ清潔かもしれない。
民生委員の中年女性はテキパキと嫌がるお婆さんをどこかに連れ出し──というか、半ば拉致に近い手際の良さで──我々3人にはこう告げた。
「部屋の中にあるもの、一つ残らずすべて運び出してください」
すべて、である。「視界に入るものは四の五の言わずに無選別に全て始末しろ」という無慈悲な不要品殲滅作戦の号令が下ったのです。「よーし、やったるでー!」というカチコミの気分で天井まで積み上がったゴミの山の片付けを3人で始めたのですが。6畳とはいえ、天井までギッシリ詰まったゴミの総量を私は完全に見誤っていたのでした。
6畳の罠──ゴミの量を舐めてはいけない
近所に、とある会社の駐車場があり、そこをゴミの仮置き場として使わせてもらう段取りがついていたので、3人でひたすらゴミを運び出す。運ぶ。運ぶ。ひたすら運ぶ。
しかい午前中4時間やっても、全く先が見えない。昼休憩の頃にはゴミの殲滅どころか敗色が濃厚になってきた。
おそらく20%も運び出せていないだろう。6畳という数字に騙されてはいけないのです。6畳の床面積に天井までの高さを掛け算すると、そこに詰め込まれた物量というのは人間の直感を遥かに超えてくる。これはもう「たかが6畳」ではなく「恐るべき6畳」なのであります。
このまま3人だけでは、日が暮れても終わらない。そう判断して役所に電話をし、悲惨な事情を説明して昼から10人ほどのボランティアを増派してもらった。流石に人海戦術というのは効果的なもので、増員後は2時間ほどで運び出しが完了しました。数の暴力は正義である、という身も蓋もない真理を体感した瞬間でした。
駐車場の持ち主、仰天す
さて、ゴミの量に度肝を抜かれたのは我々ボランティアだけではなかった。仮置きさせてもらっていた駐車場の持ち主である会社の方が、想定を遥かに上回るとんでもない量のゴミが自社の駐車場に積み上がっているのを見て、明らかに動揺しているのが伝わってくる。
「本当にこれを今日中に片付けてくれるのか?」
心配げに、というか半ば詰問するような口調で念を押してくるのでした。そんなこと、ただのボランティアの私に聞かれても困るのだけれど、でもここで「さあ?わからんですよ。そんなこと役所に聞いてくれよ」と正直に答えたら大変な事になるだろう。
「ご安心ください。責任を持ってきっちり片を付けますから」
と、責任を取る立場でも何でもない人間が、堂々と請け合ったのでした。口から出まかせというのは、窮地においてこそ真価を発揮するものなのです。まあ片付かなかった時には姿をくらませてしまおう、後処理は役所が何とかしてくれるだろう、という軽い気持ちだったのかもしれません。
環境局、素通りする
さらにゴミの量を甘く見ていたのが名古屋市環境局でした。「6畳分のゴミ」という情報を聞いて、余裕だろうと2トン車でノコノコとやってきた。ところが現場のゴミの山をチラ見した瞬間、運転手の顔色が変わり、ダメ!ダメ!と手を大きく左右に振りながら
「乗り換えてくる!」
と叫んで、そのまま素通りして行ったのであります。この潔さは見事なものでした。
30分ほど後、4トンクラスのゴミ収集車で改めて現着。もう可燃だの不燃だの分別だとか細かいことは言ってられません、環境局の職員さんも「とにかく積み込め」と何でもかんでも収集車に押し込んで、6畳一間のゴミを片付けるのに4トン車2往復。環境局の職員さんも長い収集人生で色々見てきたであろうけれど、なかなかに珍しい案件だったのではないかと推察いたします。
「ちょっくら」が「ガッツリ」に変わった日
その日、私は責任者でも何でもないのに、なぜかリーダー扱いをされていた。綺麗さっぱり片付け終わった後に民生委員さんや役所の福祉課の担当者さんに、涙を流さんばかりに感謝されました。聞けば、長年手がつけられなかったゴミ屋敷問題が、豪雨で雨漏りしたという理由をきっかけに、半ば強引にではあるけれど片付けることができて、地域の長年の懸念が一つ取り除かれたのだという話でした。
ただ、ゴミ屋敷の住人であるお婆さんは、かなりガッカリしていましたけどね。あの蟻地獄のような6畳間が、彼女にとっては居心地の良い城だったのだろう。人の幸福の形というのは、他人には理解しがたいものがあるのかもしれません。
そんなわけで、その日は「ちょっくら社会貢献」のつもりが「ガッツリ社会貢献」に化けたという、実に濃い一日でした。これは民間なら1日2万円ぐらいの日当が出てもおかしくない仕事量でしたよ。朝の軽い志が、夕方には全身筋肉痛という形で報われたのであります。ボランティアの対価は筋肉痛。まあ、そんなに悪くない取引だったんじゃないかと、26年経った今でもそう思っている次第であります。