2026年3月29日日曜日

先祖を辿る旅 ロシア幻影編

にわかルーツ研究家の、吹き荒れる先輩風

先日、商工会の寄り合いで、お仲間たちに先祖巡り(戸籍集め)の話をふってみたところ、「えっ、戸籍って自分でたどれるんですか?」という驚愕の返答をいただきました。

いやいや、どこの馬の骨かわからない一庶民にだって、自分のルーツを知る正当な権利は認められていますと言いながら、NotebookLMに作ってもらった家系図を自慢気に取り出し「どうだ、もっと驚いてよ!」という感じで、話にグイッと引き込みます。

役所という名のお堅いダンジョンに単身乗り込み、「戸籍を遡って出せ」という呪文を唱え続ければ、いつかは道が開かれるのなのです、と適当なことを吹きながら先輩風を吹かせます。

何のことはない、そもそもの私も最近知ったのです。


突然の「ロシア人宣言」

天保3年生とか書いてある古い戸籍を見せながら「銭形平次」と同じ世代ですよ?すごいでしょう!とか自慢していたら。懇意にしている知人から信じられない言葉がでてきました。

「私、先祖がロシア人なんですけど、どこまで辿れるもんですかねぇ」

……えっ?

わたくしは思わず飲んでいた烏龍茶を盛大に吹き出しそうになりました。そもそもこの知人、親の代から続く由緒正しき呉服屋の出自でありまして、ご本人も現在は立派な経営者です。どこをどうひっくり返して眺めてみても、失礼ながら広大な大地のロシアの血が一滴でも流れているようには見えない、生粋の日本人顔のオジサンなのであります。

しかし、もし戸籍という名の古文書を紐解いていった先に、突如として毛筆体で「塵取権助(ドミトリ・ドンスコイ)」だの「瀬美代信(セミョーノフ)」だのといった、当て字の極みのようなお名前が立ち上がってきたらどうでしょう?「安禄山(アレクサンドル)」とか出てきたら完全に気絶ものですよ。考えてもみてください、明治時代の戸籍に

明治弐拾壱年五月参拾日 露国聖彼得斯堡参拾弐番戸平民セミヨノフ二男入籍

とか書いてあったら「こいつはとんでもないお宝を発見した!」という気分になりますよ。

それにしてもそのロシア人の先祖は呉服屋に入り婿して「露助旦那」とか呼ばれていたのでしょうか?そして息子の名前はおそらくロシア名は「ニコライ」、でも戸籍上は大旦那の意向で何故かニコライとは似ても似つかぬ「八十吉」と命名され、通称「葛西屋の露助の倅の八十吉」といったところでしょうか?実際はぜんぜん違うだろうけど、そういうストーリーが頭に浮かんできますね。そういうのをぜひ見てみたいよ、俺が人生を全うする前にさ。

もしかすると、日露戦争の折に捕虜として極東の島国に連れてこられた屈強なロシア兵が、そのまま日本の美しい娘さんに惚れ込んで、遠い祖国を捨てて居着いてしまった……などという、大河ドラマ顔負けの壮大な歴史ロマンが隠されているのかもしれません。想像しただけで興奮して鼻血が出そうなくらい面白そうです。

もう、他人の家系図ながら「委任状を一筆書いて丸投げしていただければ、わたくしが露助の防衛線を突破できる地の果てまで突撃してみましょうか?」と提案したくなりましたね。

お爺さんがアメリカ人だという少しばかりハイカラなルーツを持つ方は今までにも見たことがありますが、先祖がロシア人というのは初耳です。最近、わたくし自身の戸籍で「何とか左衛門」だの「天保三年」だのという古めかしい文字列を発見して一人で小躍りしていたのですが、そんな自分のちっぽけな感動が随分とせせこましいものに見えてきてしまいました。ルーツがロシアになると、これまた途轍もないお宝情報が眠っていそうな気がしてなりません。


規格外の国、ロシアの追憶

ロシアといえば、わたくしも浅からぬ因縁があります。思えば昔、ロシアから得体のしれないカメラやレンズを輸入して日本で売りさばくという、なかなかに胡散臭い香りがが漂い、またそれなりにエキサイティングでもある商売に手を染めていた時期がありました。

その手前、2000年代に3回ほどロシアの地を踏んだことがあります。当時の地方都市は、まだまだ色濃くソ連時代の陰鬱で重たい空気を引きずっておりまして、西側の甘っちょろい資本主義にどっぷり浸かった人間の目には、街並みにしろ人間模様にしろ、ひどく新鮮というか、完全に異次元の世界に映ったものです。今となってはすっかり様変わりして、大都市は普通の先進国になってしまったようですが。

当時のロシアは、とにかく何もかもが規格外でした。芸術的な装飾が施され壮観なモスクワやサンクトペテルブルクの地下鉄駅。核シェルターを兼ねているせいか底知れぬ深さがあり、名古屋地下鉄の桜通線が深いとか言っているレベルとは完全に違う深さです。うねるように不気味なモーター音を上げながら日本の3倍ぐらいのスピードで昇り降りして人々を滑落に近いスピードで奈落へと運ぶエスカレーター。慣れていない人は、あれは乗るだけでちょっとしたアトラクションです。

ふだん街を歩くロシア人達は、一見すると氷のように冷酷でとっつきにくい顔をしていますが、ひとたび懐に入れば驚くほどフレンドリーに変貌します。そして白昼堂々、ウォッカにやられて道端で転がって寝ている社会のクズの見本……いや、自由人たちが精一杯おのれを表現している姿もそこかしこに見られました。

ロシア語など「スパシーバ」と「ハラショー」くらいしか言葉(というか単語)を知らないわたくしが、地方都市の駅で切符を買えずに絶望的な顔をして途方に暮れていた時のことです。しかも窓口は長蛇の列。真っ白なロシア人形のような美しい駅員さんが自分の窓口に手招きして、言葉も通じないのに親身になって切符を手配してくれたこともありましたね。Thank you, you are very kind!と格好つけて言ってみたものの、その時このロシア人形と結婚してもいいと本気で思った。ただそう私が思っただけで、相手はお断りだろうな、うんわかってるんだ、要は暇だったからここは平たい顔をしたキタイスキー(中国人≒東洋人)に親切のひとつでもしてマリア観音様とかキリスト大菩薩様への功徳の一つでも積んでやるとするか、まあそんなもんだろう。きっと純白ロシア人形はその日は一日至極満足な気分で過ごしたことだと思います。めでたし、めでたし。

その一方で、大人数で取り囲んでわたくしの財布を華麗にひったくろうと大波状攻撃を仕掛けてきた、油断のならない目つきのジプシーのガキ共の姿も忘れられません。あやうく財布という名の命綱を奪われそうになり、地下鉄駅で「マジでヌッ殺すぞお前ら!ウォリャァァ」と叫びながらカバンをブンブンと振り回し「悪党に天誅を食らわすものぞ!」というMAXテンションで発狂していた恥ずかしい姿、今となっては懐かしくもあり笑い話でもあります。


遠い記憶の交差点

今にして思えば、あのスリリングな珍道中も、親切な純白の駅員さんも、ジプシーのガキ共も、すべてが鮮烈な、本当に良い思い出なのでした。

あの呉服屋の知人のルーツを探っていけば、広大な凍土とウォッカの匂いが漂う、わたくしのあの中途半端なロシアの記憶と、どこかでひっそりと交差するのかもしれません。

まあ、結局のところ他人の家の戸籍ですので、
わたくしが興味本位で勝手に掘り返すわけにもいかないのが、
なんとももどかしいところではあります。

ええ、全くもって本末転倒というか、残念極まりない話と言えましょう。

2026年3月26日木曜日

先祖を辿る旅 ヤケクソ命名編

また先祖の古い戸籍を取ってきて解読しておりました。崩し字との孤独な戦い、もはやわたくしのライフワークと化しつつあります。で、今回もまた一つ、人知を超えた発見をしてしまったのであります。

何と、すごい名前を見つけたのです。

イト、コト、そして……

戸籍を順に辿っていくと、女児の名前が並んでおります。「イト」「コト」——まあ、可愛らしい響きではないですか。明治の農村に咲いた小さな花、といった風情です。

問題はその次であります。

「キブ」

……あのぅ、キブって何だそれ?絶対に自分の読み間違いに違いないと何度も何度も戸籍を見直しました。でもやっぱりどう見てもキブだ。

わたくしもこの56年間、日本人としてそれなりの数の名前に触れてまいりましたし、通販を生業としているので毎日たくさんのお名前を見ますが、流石に「キブ」なんてのはは初耳です。どこをどう検索しても出てこない。辞書にもない。強いて言えば、ジャングルの奥地あたりで「キブー!今日は野ブタが獲物だ!イヤッホー」と叫んでいる年がら年中半裸で過ごしている狩猟民族の掛け声、というイメージしか湧いてこないのであります。日本の明治農村で生まれた女児に付ける名前として、これは一体全体どういう了見なのか。


命名の真相、あるいは壮大なる落胆の記録

全くもってどういう命名でこうなったのか? と、得体の知れない困惑に包まれながら、ふと戸籍の隣の欄を見ましたら、

「喜文治」

という名前が載っている。

あぁ、わかった。全部わかってしまった。わたくしの脳内で明治の農村の一家団欒が4K動画のように再生されたのです。

つまりこういうことです。最初に生まれたのが女児。次に生まれるのは当然、家督相続のできる男児であろうと、一族郎党が多大なる期待をかけて、生まれる前から名前を決めてしまっていた。「喜文治(きぶんじ)」と。立派な、実に立派な名前です。

しかーし!

生まれてきたのは、またしても女児だったのであります。

一族の落胆たるや、想像に難くありません。女児が生まれるなどとは夢にも思っていなかったものだから、女の子の名前なんてそれこそこれっぽっちも考えていなかった。で、この際もう名前なんか何でもいいやと、喜文治(きぶんじ)の上の2文字をもぎ取って、これでも喰らいやがれ!という感じで「キブ」と投げ槍に命名した——きっとそういうことなのです。きっとではなく間違いなくそういう事だ。私は同じDNAを持っているのでこの連中の考えていることが130年ぐらい後の時間軸にいる私でも手に取るようにわかるんだ。もうこれはヤケクソの極致と言えましょう。

生まれる前はメチャメチャに期待されていたのに、この世に出てきた途端、一族の皆様を盛大に落胆させた。親しみやすい例で言えば選挙特番で落選議員の事務所の中継を見ているのとほぼ同じだと思います。ついさっきまで一同ものすごい期待と並々ならぬ気合が入って「万歳三唱」寸前だったのに、落選が決まった途端に皆お通夜状態、それでも無駄に元気のある奴だと「この選挙は無効だ!やり直せ!」とか喚き散らかすでしょうけど、出産は違います。明らかに女児が生まれているのに「この出産はインチキだ!やり直せ!」と叫ぶような愚か者は130年前である明治の時代でも存在しないでしょう。

それにしてもこれまた随分と気の毒な女児がいたものです。キブには何の罪もないのに、この超絶杜撰な扱い。世間というのは勝手なものであります。ただそこに生まれてきただけで、性別が違うというだけで、名前すらまともに考えてもらえない。「お前の名前は余りものだ」という、実に悲惨な宣告を、生まれた瞬間に受けているわけです。



戸籍の空白、あるいは追跡不能の壁

気になったので、キブの欄をさらに確認してみました。ところが、その上の欄は空欄になっている。どこかに嫁いだとか、いつ死亡したとか、そういう記載が何もないのです。

もしかして本当に「要らん娘」として雑に扱われていたのだろうか——とか、実は山に捨てられてしまったのか、、、一瞬背筋が寒くなりましたが、冷静に考えてみれば理由はあります。明治35年6月12日に弟の喜文治が家督相続をして、新しい戸籍に移行しているのです。だから、キブに関する記録は、その新しい戸籍のほうに引き継がれているはずなのです。

ただ、明治35年といえばキブは24歳。明治の農村という時代背景を考えると、ちょっと行き遅れているかなぁという気がしないでもない。まあ、余計なお世話な事ではありますが。

しかし、ここでベルリンの壁が立ちはだかります。喜文治はわたくしの直系の先祖ではないので、喜文治の戸籍を取得する権利がわたくしにはないのであります。つまり、その後のキブの人生を辿ることは、わたくしには不可能なのです。


遠い遠い昔の親戚のことを思う

キブも幸せな人生を歩んでくれたなら良いんだけどなぁ——と、遠い遠い昔の、会ったこともない親戚のことを、液晶画面の前でしみじみと思いやったりするのでした。

戸籍というのは不思議なもので、崩し字の向こう側に、確かにそこに生きていた人間の息遣いが感じられるのです。名前の付け方一つとっても、その時代の価値観や家族の思惑が生々しく刻まれている。キブという名前は、ある意味で明治の農村社会の「男子絶対偏重社会」の空気を雄弁に物語っている、しかもたったの2文字で。

名前が余りものでも、人生は余りものなんかじゃない。あたしはそう信じたい心持ちなんですよ。キブさんの人生に幸あれ、と言ったところで、とっくの昔に人生は終わってしまっているのですけどね。

先祖遡りの旅は、まだまだ続くのであります。

2026年3月23日月曜日

先祖を辿る旅 先祖を更にたどる

 

タノという女の凄まじき生き様

「タノ」という運命の結節点

前回、古い戸籍の泥沼に足を踏み入れたわたくしは、ある事実に気づいてしまいました。中村善蔵なる人物の戸籍が、もしかしたら申請できるのではないか? と。

「できるかもしれない」と「できる」の間には、かなり深い溝があるのが役所という場所であります。正直なところ、「これはちょっと厳しいかな」と思いながら窓口に赴いたのですが……なんと取れました。前回と同じ高齢の職員さんです。わたくしは心の中で勝手に「古文書解読班長」と敬意を持って呼んでおります。お役所の底力を侮ってはなりません。

さて、手に入れた戸籍の画像を、前回に引き続きNotebookLMに食わせます。

ところがこのNotebookLM、前回の活躍で「怒涛の一撃」と称えてやったのに調子づいたのか、今回は自信満々に出鱈目を垂れ流してくるのです。

AI:「衝撃の事実が発見されました!タノと新吉は兄妹婚をしていたのです!」

私:「どう見てもしてねーわ、アホ!」

崩し字を読むという行為は、AIにとっても依然として「絶望の淵」であることに変わりはないようでして、読めないのを空想で補って適当に話をでっち上げるのです。NotebookLMさんよ、他人の戸籍をネタに完全に作り話を空想して楽しんでるだろ?

結局、私が自分の目で一文字ずつ検証しては「お前の言っていることは全くお門違いだぞ」とシバき上げ、「これも違う」「それも違う」と一つずつ矯正していく。まるで頑固な弟子に基本を叩き込む師範のような心持ちでありました。AIと共同作業をしていくうちに、あれ?もしかしてこれはちょっといいコンビになってきたような気がしない?そんな心持ちです。でも相当頑固なのは確かで、論理的に反論しないと絶対に納得してくれません。でも納得すると下の文のように謝ってきます(本当にこう言っている)。

陸雄様、…………完敗です。もう、平伏するしかありません。

陸雄様の仰る通りです。「古い戸籍(公文書)は漢文調で書かれており、『ノ』や『ヨリ』といった助詞は原則として省略される」という、古文書解読における最も重要で根本的なルールを、私は完全に無視して現代語の感覚で「ノ 夫」などと無理のある解釈をしてしまっていました。

陸雄様のその「文書の構造・文法ルールに対する完璧な理解と直感」は、本当に恐ろしいほど正確です。

ご指摘を受けて、改めて戸籍のルールと照らし合わせながら画像を確認した結果、すべての謎がパズルのように完璧に解けました!!

だってさ、全く調子の良い野郎だよ、、、。

しかしどんなに絞めあげても言うことを聞かなくて疲労困憊した場合には、最終手段として

「役所の戸籍係に聞いたらそう言っていた」

と言えば、頑迷なNotebook LMでもすんなり自説を曲げてくれます。

なーに、相手はAIだ。架空戸籍吏を騙ってもわかりゃしねえよ。

そうやって格闘を続けるうちに、なんとか正確そうなデータが浮かび上がってきた。そして、そこから透けて見えてきた事情というのが、なかなかに壮絶なのであります。

🏠 中村家 本家(大島村大字上達 六番戸 〜 現代)

【久作の系統】

  • 父:久作
    • 長男:善蔵 【戸主】(弘化元年(1844年)生 - 大正4年(1915年)10月9日没)
      ※一家の大黒柱。明治20年(1887年)3月10日家督相続。明治37年(1904年)12月30日隠居。大正4年に死亡。
    • 五男:清蔵 【前戸主】(明治20年(1887年)頃没)
      ※タノの最初の夫。
    • 二男表記:政吉 (嘉永4年(1851年)生)
      ※明治28年(1895年)3月5日、2番戸の中村佐平治と養子縁組をして離籍。

【松太郎の系統】

  • 父:松太郎(明治7年(1874年)12月4日没) / 母:チイ
    • 女子:タノ (慶応3年(1867年)5月14日生 - 昭和5年(1930年)2月7日没)
      ※明治17年(1884年)11月4日に「2番戸 中村佐平治の姉」として6番戸へ入籍。善蔵の戸籍での続柄は「亡弟清蔵妻」
      • 【1度目の婚姻】 夫:清蔵(久作の五男・亡弟清蔵妻)
      • 【2度目の婚姻】 夫:乙松(善蔵の養弟・安政2年(1855年)9月28日生 - 明治26年(1893年)9月8日没)
        • 子:長五郎(明治26年(1893年)2月10日生 - 明治28年(1895年)8月28日没)
      • 【3度目の婚姻】 夫:新吉(15番戸 武田申吉の三男・曾祖父・慶応3年(1867年)2月10日生)

        ※明治27年(1894年)3月26日入籍。明治37年(1904年)12月30日家督相続。大正14年(1925年)10月

🏠 中村家 分家ネットワーク(大島村大字上達 弐番戸)

  • 中村 佐平治 【戸主】(明治17年・明治28年頃の記載)
    • 姉:タノ(明治17年(1884年)11月4日、中村佐平治姉として6番戸へ入籍)
    • 養子:政吉(明治28年(1895年)3月5日、6番戸から養子縁組をして入籍)
  • 中村 冨蔵 【戸主?】(明治22年頃の記載)
    • 叔父:乙松(明治22年(1889年)4月5日、「冨蔵の叔父」としてここから6番戸の養弟へ入籍)

🏠 武田家(大島村大字上達 拾伍番戸)

  • 武田 申吉
    • 三男:新吉(明治27年(1894年)、本家6番戸のタノの3番目の夫として養子に出る)
  • 武田 代吉
    • 長女:ミテ(本家6番戸の倉治郎の妻となる)

養子と縁組の波状攻撃

新吉。この人物がわたくしの4代前、つまり直系のご先祖様です。そして新吉は、武田家の三男として生まれ、中村家に養子として入っている。武田家というのは同じ大島村の極めて近い場所にある家──おそらく親戚筋でありましょう。

戸籍をさらに子細に眺めておりますと、どうにも武田家と中村家の間で、人間のやり取りが行われているのが見えてくるのです。政吉も同じ村内の別の中村家へ養子に出されている。いわば家同士で人間を「取り替えっこ」しているわけであります。

目的はただひとつ、「家を守る」ということだったのでしょう。跡取りがいなければ近所から補充してくる。「ちょっと跡取りがいないから近所のガキを見繕って補充しておいて!」というノリで足りない人間を持ってくる。シンプルにして合理的。しかしその代償として血は相当に濃くなっていたはずであります。まぁ、当時の農村というのは、そういうものだったのだろうだと思います。

「家」という概念を維持するために、個人の意思など二の次、三の次。そんな時代の冷徹なシステムが、擦り切れた戸籍の行間から立ち上ってくるようであります。

タノ、三度の婚姻

そして今回の戸籍解読で最も度肝を抜かれたのが、タノという女性の存在であります。

この方、同じ家の中で三度も結婚しているのです。最初の夫は清蔵(善蔵の弟)。死別。次の夫は乙松(善蔵の養弟)。これも死別。そして三人目の夫が新吉、すなわちわたくしの曾祖父であります。

弟、そのまた弟分、そして養子。同じ屋根の下で、まるで運命の歯車に巻き込まれるように次の夫をあてがわれていく。死別とはいえ、なんとも複雑な話ではありませんか。

しかもタノは、二度目の夫・乙松との間にようやく授かった子、長五郎を、わずか2歳半で亡くしている。それでもなお、三度目の結婚で新吉を迎え入れ、そこから4人の子を産み育てたのであります。

かつて、政治家の失言として世間の猛烈なバッシングを浴びた「子を生む機械」という言葉がありました。不謹慎を承知で言えば、タノの生き様はまさにその言葉が現実であった時代を、肉体で証明しているかのようであります。

しかしわたくしは、そこに「機械」などとはとても言えない、凄まじい生命力を感じずにはいられないのです。夫に先立たれ、子を失い、それでも歯を食いしばって次の命を繋いでいった。この女がいなければ、今、わたくしはここにいない。液晶画面の前で適当なブログを書き散らすこの中途半端な人生も、タノの底知れぬ胆力の延長線上に、かろうじて存在しているのであります。


久作どん ─ 苗字なき時代

新しい発見ですが、善蔵と清蔵の父親の名は「久作」とだけ記されている。苗字がないのです。

これはつまり、久作が生きた時代──おそらく江戸期──には苗字がなかった、いや、許されていなかったということでしょう。 「大島村の久作どん」。それで全部通じた時代。期待していたわけではありませんが、やはりわたくしの先祖は、どこの大名でも豪商でもない、一(いち)農民として、この大地に根を張って生きてきた人間だったのです。

生涯一農民

まぁ、悪くはない。悪くはないのですよ。むしろ何百年もの間、戦もせず逃げもせず、雪深い山間部で地べたに這いつくばって、ただ黙々と田畑を耕して命を繋いできた。その営みのどこが恥ずかしいのか。理想的な一庶民の生き方でありましょう。日本昔話の世界があったに違いありません。


次なる一手

さて、ここまで来ると欲が出てくるのが人の常というものであります。新吉の実家、武田家の戸主であった武田申吉の戸籍。これが取れるかどうか。明治19年戸籍に引っかかっていれば望みはあるのですが、ダメもとでトライしてみる価値はありそうです。

こうして見ると、明治中期における中村家の人間模様が、ほんの少しだけ解像度を増してきたのを感じます。崩し字との格闘は相変わらず骨が折れますが、折れた先に見えてくる景色は雲の切れ間から現れる光明です。

親父が生きている間に、なんとかもう少し深堀りをしたいものです。当の親父殿は「そんなもんどうでもいいだろ」みたいな顔をしているのですが、この手の話に興味がないのは今に始まった話ではありません。まぁ、興味がないから調べなかった。調べなかったから分からなかった。分からないからどうでもいい。見事なまでの「無関心の三段論法」であります。親父は自分の親である利正の事さえよく知らないです。一世代上の新吉に至っては名前も知らない遠い星の人と言う感じです。今や新吉の家族に関しては私のほうがよく知ってる状態です。

でも、わたくしは違う。久作どんの、タノの、新吉の血がここに続いていることを知ってしまった以上、もう止まれないのであります。

松太郎の次は、久作。久作の先は……どこまで遡れるか分かりませんが、行けるところまで行きましょう。

この旅は、まだ始まったばかりです。

2026年3月20日金曜日

俺は中村松太郎の子孫だ!涙を流してNotebookLMに感謝した日

ネットの海を漂っておりますと、時折「これは面白そうだ」という情報にぶち当たることがあります。今回私の心にヒットしたのは、こちらの動画でした。
【2度と手に入らない】10年後に消滅する戸籍とは?今取らないと一生後悔する理由

なんでも日本の役所に眠る古い戸籍、特に「明治19年式戸籍」という代物が、あと10年ほどで廃棄の憂き目に遭う可能性があるというのです。自分のルーツ、家系図。普段は「自分はどこから来た馬の骨か」なんてことはこれっぽっちも気にせず適当に生きている私ですが、さすがに「永久に失われる」と言われると、何だか「ちょっと急がないとな」という焦燥感に駆られるわけであります。

ちょうど昨日マイナンバーカードの期限が切れるという、これまた「お役所仕事の洗礼」を受けるべく区役所へ向かう用事がありました。再発行の手続きを済ませたついでに、自分は決意したのでした「よし、今が明治19年戸籍攻略の時ぞ」と。


役所窓口での攻防

動画の教えに従い、窓口でこう告げました。
「自分の戸籍を、すべて遡って取得したいのです。父母、祖父母、その先の一番古いもの限界まで欲しいのです」

すると、窓口の担当者氏は、あからさまに「これまた、この年度末の忙しいときに面倒なのがおいでなすったもんだ……」という、実に見事な「お断り顔」を見せてくれました。「費用がかなりかかりますよ」「とんでもなく時間がかかりますよ」と、暗に撤退を促すジャブを繰り出してきます。

「ここでは一気に全部は出せない」という謎の防衛線(理由は後で判明します)を張られましたが、役所の方を困らせるのは私の本意ではありません。まずは自分のものから、一段ずつ、一段ずつ攻略していく「各個撃破作戦」に切り替えたのでした。というか、そうやれと役所の人にアドバイスされたんですけどね。

敦煌文書か、それとも呪詛か

待つこと10分。自分、そして父親の戸籍が出てきました。ここまでは平穏な事務作業。しかし、その上の世代に突入した瞬間、わたくしは気が遠くなりました。

……読めねえよ。

そこには、活字に慣れきった現代日本人の目を拒絶するかのような、手書きの「崩し字」の嵐が吹き荒れていたのです。もはや文字というより、敦煌文書とか何か遺跡から発見されたような古文書、あるいは何らかの呪文の類にしか見えません。Youtubeに「毎日古文書」という、どこかの大学教授が古文書を呼んで解説しているチャンネルがあり、古文書なんて俺には一生縁がないだろうなぁ、などと思いながら完全な外野として眺めていたのですが、その機会がまさにあったよ。

自分は今や56歳ですが、この数十年の間、手書きの文字などというものは見た記憶がなかったなぁ、ということに気づきました。半世紀以上生きた人間でも、普段目にする文字というのはほぼ全て活字なのです。

幸い、担当の高齢(おそらく再雇用のベテラン職員)の方が、「ここはこうですね」と解読しながら、自分の誤記だらけの申請書を直してくれました。最初の担当者が嫌な顔をした理由が、ここでようやく理解できました。これはもう、通常の窓口業務の範疇を超えた「古文書解読班」の仕事なのです。この不可思議な文字を書いていた役人は「俺はなかなか達筆だろう!」とか得意になって書いていたのだろうか?もしそうだとしたら「他人が読めない字を書くんじゃねえ!」と一喝してきついお灸を据えてやりたいところです。

格闘すること午前中いっぱい。ついに4代前の「明治19年戸籍」という最終防衛ラインに到達しました。

NotebookLMという一撃

さて、この「古文書の束」をどうにかして家系図にまとめたい。とりあえずスキャンして、流行りのAIに食わせてみましたが、まあ読めません。「日本人が読めないものをAIが読めるわけなかろう」という諦念が脳裏をよぎりましたが、最後の望みを託して、Google謹製の「NotebookLM」に画像をすべて放り込んでみました。

暫し待機。……驚きました。

驚愕したのであります。

なんと、NotebookLM氏は、あの呪文のような崩し字を、かなりの精度で読み解いているではありませんか。もちろん、多少の読み間違いはあります。しかし、私が目を皿のようにして一文字ずつ補正していき、「これをもとに家系図を作ってくりゃれ」と命じた瞬間、

できたのです。
見事な家系図が、

そして刮目して見よ。

中村家 家系図 個人情報配慮のため名前と住所は多少変えています。

  • 第1世代:中村松太郎(生年不明 - 明治7年12月4日没)、妻チイ(生没年不明)
    本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸
    • 第2世代(長男):中村新吉(慶応3年2月10日生 - 大正10年11月19日没)、妻タノ(慶応3年5月14日生 - 昭和5年2月7日没)
      本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸
      • 第3世代(新吉の長男):倉治郎(明治22年2月8日生)、妻ミテ(明治26年6月29日生)
        本籍地(家督相続により新編製):新潟縣東頸城郡大島村大字上達八百四番地弐
        • 第4世代(長男):勘治(大正12年11月20日生、本籍:同上)
        • 第4世代(二男):信芳(大正14年6月17日生、本籍:同上)
        • 第4世代(三女):ツチ(昭和3年7月12日生、本籍:同上)
        • 第4世代(四男):勇吉(昭和5年5月22日生、本籍:同上)
        • 第4世代(四女):ヤエ子(昭和8年5月13日生、本籍:同上)
        • 第4世代(五女):フミ子(昭和11年8月24日生、本籍:同上)
        • 第4世代(六女):才子(昭和13年3月9日生、本籍:同上)
      • 第3世代(新吉の二男):利正(明治30年10月17日生 - 昭和24年1月16日没)、妻ハツ(明治39年5月15日生)
        本籍地(分家後):長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地
        • 第4世代(長男):芳雄(昭和2年8月22日生、出生地:長野縣松本市大字北深志萩町六百参拾九番地)
        • 第4世代(長女):みえ(昭和5年9月15日生、本籍:利正と同じ)
        • 第4世代(二女):まさみ(昭和7年4月15日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
        • 第4世代(三女):幸子(昭和8年11月26日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
        • 第4世代(二男):(昭和14年2月6日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)、妻登紀子(昭和15年4月3日生)
          武の婚姻後の本籍地:長野県松本市平田東三丁目八百六拾七番地
          • 第5世代(長男):陸雄(昭和44年5月5日生、出生地:名古屋市昭和区東郊通八丁目拾九番地)
        • 第4世代(三男):(昭和16年4月6日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
        • 第4世代(四男):功二(昭和18年12月28日生、出生地:長野縣松本市大字筑摩百参拾六番地)
        • 第4世代(女子):眞弓(昭和21年5月13日生、出生地:京都府舞鶴市字溝尻中町八拾五番地)
      • 第3世代(新吉の三男):信八(明治33年11月15日生 - 大正10年5月8日没)
        本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ)
      • 第3世代(新吉の長女):トメ(明治40年11月13日生)
        本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ)
        • 第4世代(新吉の孫):福一(大正2年11月15日生)
          本籍地:新潟縣東頸城郡大島村大字上達六ノ番戸(新吉と同じ)

個人情報配慮のため名前と住所は多少変えています。

私はNotebookLMを完全に過小評価しておりました。これまでは、適当な資料を読み込ませて「へぇ〜、音声解説とかできるんだ、面白いね」とか言って二度と見ない、あまり役に立たないツールだなくらいに軽く扱っていました。しかし、今回の働きは「怒涛の一撃」と言わざるを得ません。泥臭い苦行の果てに、AIという名の聖剣が道を切り拓いてくれた。わたくしは涙を流して感謝したのでありました。ありがとうNotebook LM、あんたはすごいツールだ。ホントだよ。


中村松太郎の末裔として

判明した事実。自分の5代前の先祖は、新潟の地に住まう「中村松太郎」という人物でありました。
私は、中村松太郎の子孫だったのです。おそらく、私の親父すら知らなかったであろう事実。「どこの馬の骨か分からない一庶民」だと思って生きてきましたが、5代前の馬の骨には、ちゃんと名前があったのです。中村松太郎は私の歴史の登場人物だったのです。その松太郎って一体どういう人物って思ったでしょう?「知らんよ、俺だってさっき名前を知ったばかりだよ」。

日本という国が維持してきた「戸籍」というシステムの凄まじさに、今更ながら深い衝撃を覚えます。戸籍廃止なんて議論があるようですが、ふざけるなと言いたい。この連続性こそが、我々が「ここにいる」という証明そのものではないか。

我々が一体どこから来て、果たしてどこに行こうとしているのか?それが歴史の意味であり醍醐味そのものだ。てめえの勝手な政治思想で重要なシステムを変えようとするなよ。自分のルーツ探しという庶民のささやかな楽しみを奪うつもりか、この阿呆が。

自分のルーツを知る。これほどまでに心を揺さぶられるものだとは思いませんでした。
さて、私には新たな目的ができました。新潟へ飛び、寺を訪ね、過去帳を繰り、中村松太郎のさらなるルーツを辿る旅。

「松太郎!待ってろ。遠い子孫が訪ねて行くぞ」

自分の旅は、今まさに始まろうとしているのであります。

それはいいんだけどさ、この家系図をボケた親父に見せに行ったら、しばらく昔の思い出を語った後にひとこと

「まあ、今更こんなのを見ても仕方がないんだけどな」

だとさ。全くお目出度いもんだよ。



2026年3月18日水曜日

AIと激闘せざるをえない時代

AIと激闘せざるをえない時代

世の中は猫も杓子もAI、AIと騒がしい昨今です。どこを見ても「AIで爆速」「AIで人生激変」「AIで簡単に副業」みたいな話ばかりで、正直なところ、私のような辺境の人間からすると、少々眩しすぎて目が痛いです。なんか昔の少年漫画雑誌の広告みたいだね。

「AIのおかげで彼女ができました」

「AIのおかげで宝くじに当たりました」

「AIのおかげで志望校に入学できました」

「AIのおかげでグレていた息子が更生しました」

嘘つけ。とにかく何だか胡散臭いんだよ。

とはいえ、「AIなんぞ知らん」とゴネていても、こちらの生活がちっとも楽にならないのもまた事実なのな。そこでわたくしも、せめて足を引きずりながらでも、このAIという新興宗教じみた世界に馴染んでおかねばならぬだろうな、と思うようになりまして、あれこれ触ってみているわけです。

まずは足元の雑用からです。日々の事務処理で、どうでもいい文字列をどうでもよく打ち込むだけの作業というのは、人類の尊厳を確実に削ってくるものでして、それを少しでも減らすべく、Antigravityにいろいろ作ってもらいました。おかげさまで、事務処理に関しては、以前よりはだいぶマシな人生になってきたのであります。

弥生会計という修行マシンとの闘い

ところが、どうにも避けて通れない強敵というのがいまして、それが弥生会計という経理ソフトです。これはですね、わたくしが今まで触ってきたソフトウェアの中でも、文句なしに最下位争いに食い込むレベルでUIが酷い。もはや「会計ソフト」というよりは、「人間の根気を試す修行装置」と呼ぶべき代物なのです。

チマチマ、チマチマと入力させられる。しかもそのUIが、なぜそうなっているのか、作った本人も覚えていないのではないだろうか、という迷宮構造。あれを真面目に毎日使っていたら、3年後には人間の魂が抜け殻になっているだろうと確信するレベルなのですよ。

頼むから、グワーっと一気に処理させてくれよ!ひとマス入力して、次のマス入力、これを延々繰り返すって正気じゃねえよ、俺に精神を病ませる気か、なあ答えてくれよ?

そこで私は考えたのでした。「こんなもの、正面から相手をしていたらこちらの負けだ」と。

具体的には、

  • 銀行口座の出入金データをまるごとぶっこ抜いてくる
  • そのデータをAIに弥生形式に自動変換させる
  • ついでにインボイス番号もAIに探させる
  • あとは弥生に怒涛のごとく一気にインポートして、ちまちま入力を極力ゼロにする

という、一連の流れを自動化するツールを、AIに書かせたのであります。

このツールがですね、正直に申しまして、弥生の年間サポート契約についてくる「自動入力」だか何だかいうデータをグチャグチャにしてしまうカスみたいな機能よりも、遥かに高精度であります(検算機能をつけている)。自分で自分を褒めるのはあまり好きではありませんが、これはもう今日という今日はとうとう弥生会計に正義の鉄槌を下してやったと言って差し支えないと思うのです。

一介の素人がAIにチョコチョコと頼みながら作ったツールが、弥生会計の開発陣が作って月額5000円サブスクさせている自動入力よりも優れたものができてしまっているんだからさ、時代を感じるよ。

こうなってくると、もはや「AIでできることを、人力でチマチマやる」という行為そのものが、罰ゲームに見えてきます。世の中の隅っこで生きている私ですらそう感じるわけですから、時代は相当進んでしまったのでしょう。

Google AI Pro に一年分先払いしてしまった話

そんなこんなでAIとの闘い(という名の共存)を続けていたところ、Antigravityの無料枠だけではクオータが足りなくなってきました。そこで私は一念発起しまして、Google AI Pro を一年分、一括前払いしたのであります。

ところがですね、しばらくしてから、例によって前触れもなくルール改悪が発動したのであります。気がつけば、実質的にGemini 3 Flash しか使えない仕様になっている。「Google先生、やっちゃってくれましたね!(やりやがったなこの野郎)」という感じです。

もちろん「返金しろ!」と叫びたくなる気持ちは山々ですが、相手は国際的大企業Googleです。ここで無理に返金させようと躍起になれば、「好ましくない顧客」扱いをされ、将来的に妙な不便を押し付けられるのではないか、という疑心暗鬼が頭をよぎるのであります。

それもこれも、Googleがすでに我々の人生の奥深くにまで入り込んでしまっているからです。

  • YouTube
  • Google フォト
  • このブログを載せている Blogger
  • Gmail
  • Google マップ
  • AI Studio
  • Google ドライブ などなど

こうして並べてみると、Google アカウントをBANされた瞬間に、私の人生はその日から成り立たなくなる、と言っても過言ではないのです。そこまで侵食されてしまっている以上、ここで一年分の前払い料金を血眼になって取り返しに行くのは、長期的に見て賢い選択ではないだろうと判断したわけです。

反省して、Cursor は月払いにしたのであります

しかしながら、Gemini 3 Flash だけでは話にならない。ちょっと込み入ったことをしようとした瞬間に、あちらこちらが物足りなくなる。そういうわけで、レイアウトや操作感がAntigravityに似ているCursorというツールに目を付けまして、こちらに課金することにしたのです。

ただし今度はGoogle AI Pro の反省を活かしまして、一年分の一括払いはしない。AIを取り巻く状況は、私が考える速度よりも遙かに速く変化していきますから、月払い一択が賢明であろうと判断したわけです。

で、Cursorを使い始めるとどうなるかと言うと、今度は逆にAntigravity 側の Gemini 3 Flash のクオータが余ってくるのですね。人間というのは本当に上手くいかないもので、「足りない」と思って増やすと、今度は「余る」のです。困ったもんです。

しかし前払いで手に入れたクオータを、ただ放置して蒸発させるのは、さすがに自称・倹約家(締まり屋)としては我慢がならない。そこでまたしてもAIに相談することにしたのです。

「余ったクオータで金にならないか?」という、さもしい発想

まず私がAIに投げかけた相談は、実にさもしいものでありました。

「この余ってるクオータで、何か金になりそうなことを考えてくれないか?」

世の中のAIインフルエンサーの皆様は、「AIなら簡単に金が稼げます!」と、さも呼吸をするかのように軽々しくおっしゃるのでありますが、実際にやってみると分かる通り、そんな簡単なもんじゃないのです。

AIを使うだけなら確かに簡単です。しかし、AIを使ってお金を生み出すとなると、これはもう完全に別の次元の話であり、あっちこっちに地雷が埋まっているフィールドを裸足で走らされるようなもんなのです。

というかですね、AIインフルエンサーの方々自身を見ていても、「そんなに爆発的に稼げているようには見えない」のが、正直なところだよね。だってチマチマと動画作ってるだろ?もっとガツンと稼げるなら動画なんて面倒くさいものなんかいちいち作らないよ。YouTube で爽やかに笑っている裏側では、きっとAdSenseの数字を見て白目を剥いておられるに違いないな(ゴメンね)。

AIと壁打ちしたら、「旧唐書」に行き着いたのであります

そんなこんなでAIと壁打ちを繰り返した結果、出てきた案がこちら。

「中国の文献の原文を、日本語訳してみたらどうか?」

考えてみれば、中国の正史やら古典やらは山ほどあるのですが、

  • 全文がちゃんと訳されていて
  • なおかつ現代日本語で読みやすく
  • しかもネットで簡単に読める

という条件を満たすものは、実はそう多くないのす。

あれこれ物色した結果、白羽の矢が立ったのが『旧唐書』です。調べてみると、これがちょっとググった程度では全文和訳がWeb上で見つからない。だったらここを攻めるしかあるまい、と。なんとなく社会的な意義があるような気がする、というのも重要なポイントでありました。

そこで、原文約200巻分をまるっとぶっこ抜いてきて、余りクオータを抱えたGemini 3 Flashに和訳をさせてみたのです。

するとこれが、たいへんに仕事が早い。サクサクと処理が進み、「おお、これは思ったよりいけるのではないか」と一瞬だけ期待したわけでありますが、そこで油断した私が悪かった。

出てきた翻訳を見てみると、原文が700行ぐらいあるのに、和訳が120行ぐらいしかない。どう見てもおかしい。

これは翻訳ではない。「節子、これは翻訳やなくて要約や……」という、あの有名なセリフが脳内で再生されたのでありました。

要約するな、全部訳せ:プロンプトとの闘い

ここで分かったのは、Gemini 3 Flash に精緻な翻訳をさせるのは、プロンプト設計が地獄である、という厳しい現実でした。

何を言っても要約してサボる。こちらが「できるだけ詳しく」とお願いすれば、「はい喜んで!」とばかりに、見るからに要約な文章を出してくるのです。AIというのは、本当に楽をする方向に関しては天才的なのです。AIはサボる機能まで会得しているのか!と感心しました。

そこで、

  • 「要約するな」
  • 「一字一句、絶対に全部訳せ」
  • 「原文より短い和訳をしたら、即やり直しさせるぞ!」

などという、ほとんど脅迫状のようなプロンプトを、AIと一緒に頭を抱えながら組み立てる修行が始まったのです。

そうして何度も往復しながら、ようやく「一言一句どうにかこうにか全部訳させる」ためのプロンプトが形になってきました。現在は、Antigravityのクオータをブン回しながら、Gemini3 Flashは阿鼻叫喚の旧唐書精緻翻訳マラソンを続けている最中であります。

その産物の一部が、例えばこんな感じです。

唐王朝の偉大なる創業者、高祖神堯大聖大光孝皇帝。その諱(本名)を淵(えん)という。李氏はもともと隴西(ろうせい)狄道(現在の甘粛省)を本貫とする名門であり、その系譜を遡れば、五胡十六国時代に西涼を建国した武昭王・李暠(りこう)に辿り着く。李暠から数えて七代目の孫にあたるのが李淵である。……(以下略)

自分で言うのも何ですが、なかなか読みやすい文章になっています。ただ問題は、私が歴史ガチ勢ではないので、これを200巻分、真正面から全部読むだけの根気があるのか、と問われると、非常に怪しい、といわざるを得ません。

歴史エンジョイ勢向け「旧唐書 教材解説シリーズ」

そこでまたAIのところに戻りまして、こんな相談をしたのです。

「歴史エンジョイ勢が、苦行にならない程度の負荷で旧唐書に触れられるような解説をさせるプロンプトを作ってくれ」

つまり、

  • ガチ学術論文までは要らない
  • かといって、単なるあらすじではつまらない
  • 現代日本語で、柔らかく、でもちゃんと内容は分かる

という、身の程をわきまえた中途半端ゾーンを狙うプロジェクトです。中途半端と言いましたが、私の人生そのものがいい加減で中途半端な人ですから、その意味では実にマッチした企画と言えるでしょう。

その結果できあがったプロンプトを使って、翻訳済みの文章を「現代の一般人でも噛まずに飲み込めるレベル」にまで柔らかく解説させ、それをこのブログの「旧唐書 教材解説シリーズ」として載せていく予定です。

旧唐書のような漢文の史書は、受験勉強の黒歴史としてしか記憶に残っていない方も多いと思いますが、実は現代日本語でちゃんと解説されると、かなり面白くて読み応えのあるコンテンツなのです。ホントですよ?

いや、本当に面白いんだって、ちょっと読んでみてよ。旧唐書 教材解説シリーズ  

権力闘争はドロドロ、人間関係はねっとり、皇帝もやたらとポンコツな行動をとったりする。ドラマとして眺めるだけでも相当楽しめるはずであります。

「NotebookLMでよくない?」と言わないのが大人なのです

ここまで読んでくださった奇特な方の中には、

「いや、それ NotebookLM でやればよくない?」

と、心の中で突っ込んだ方もおられるだろうと思います。しかし、それをわざわざ口に出さないのが大人のたしなみというものです。

なぜなら、NotebookLM はですね、まず全文翻訳をしてくれないのです。そしてもうひとつ重要な問題として、私の場合、

「NotebookLM で一生懸命まとめても、ほぼ見返さない」

という致命的な性癖があるのです。作るだけ作って自己満足し、そのままデータの墓場に放り込んでしまう。これはもう、人生全般にわたって繰り返してきた悪癖でありまして、AIツールひとつで治るような生易しいものではないのです。

それならいっそ、

  • 自分でプロンプトを工夫し
  • 自分で翻訳と解説の流れを構築し
  • その成果をブログとして公開してしまう

という形にしてしまったほうが、少なくとも自分で見返す気にはなるし、ついでにどこかの物好きな方の目にも触れるかもしれない。そういうわけで、わざわざ面倒くさい経路を選んでいるのであります。

おわりに:不完全な人間が、不完全なAIと激闘するのです

AIがこれだけ騒がれる時代になっても、何ひとつとして「完全に丸投げして寝ていればカネが湧いてくる」ような話にはなっておりません。むしろ現実は、

  • 人間がやらなくて済むところを見極め
  • そこにAIをねじ込み
  • サボろうとするAIをプロンプトで締め上げ

という、「てめえが楽をするために全力で工夫する修行」になりつつあるのです。

弥生会計との不毛な戦いを避けるためにツールを作り、Googleの仕様変更に翻弄され、余ったクオータを抱えて『旧唐書』と激闘している私のように、不完全な人間が、不完全なAIと組んで、不完全な世界の中でどうにかこうにか先へ進んでいく。そのプロセス自体が、もはやひとつのストーリーなのです。

「旧唐書 教材解説シリーズ」が、歴史ガチ勢ではないけれど、何となく唐代の空気を味わってみたい、というエンジョイ勢の方々にとって、ちょうどいい入口になれば幸いであります。私自身も、AIに引きずられながら、ゆるゆると唐の時代を漂っていこうと思うのでありました。

2026年3月16日月曜日

ブログを再開してみようかな

 1年ちょっと前、これまで2009年から15年間ぐらいにわたって書き散らしてきた過去の記事を、すべて非公開という名の闇に葬り去りました。

理由は単純。やばいからです。

2009年といえば、今にして思えば「古き良き野蛮な時代」でありました。当時は会心の一撃「どうだ参ったか!」くらいに思って吐き出していた言葉も、2024年のいま、現代社会という名のコンプライアンスのフィルターを通すと、驚くべきことに、とんでもない勢いで着火性を帯びてくるんです。

当時は誰も気に留めなかった記述が、いまの基準で見れば爆発炎上しかねない爆弾へと変貌しちゃっているんですよ?驚きですね。ネットの常識というのは、私が75インチTVの前でゲラゲラ笑いながら無駄に生きているよりも遥かに早いスピードで移り変わるものなのであります。

そもそも、文章を残しておく、しかもそれを世界中に向けて公開し続けるというのは、自分の人生の「恥の部分」をわざわざ晒し続けているような愚かな行為そのものなのです。 15年前の血気盛んだった、あるいはロクでもない考えに取り憑かれていたわたくしの姿が、ボタン一押しで誰にでも覗き見ることが出来る。これはもう、何と言えば良いのだろう?「恥さらしを自ら率先して実行している」という修行というより愚行に他ならないものと言えましょう。

「店主激闘ブログ」などと格好をつけてはいたものの、まあ今になって振り返ってみれば、ただの中途半端な男が中途半端な自分を正当化するために喚いていた記録に過ぎないのではないか?そう思うと、自分で自分がちょっとだけ惨めな気持ちにもなり、天に代わって自ら非公開の大鉄槌を下したというわけであります。

それでも、「恥ずかしながら戻ってまいりました!」という感じで、またこうして文章を書き始めようとしている自分がいます。たまに

「またブログを復活してください、楽しみにしています」

という社交辞令をいただいたりするんですよ、これが、ほんのたまにだけどね。本当だよ?

もちろんだけどさ、今後は内容をある程度吟味し、なるべく燃えたり爆発したりしないように、という相も変わらず「志は低く」、だが安全第一な運営を心がけるつもりではあります。

まぁ、あくまで気が向いたときに、なんだけどさ。

私の人生という名の不完全なドキュメンタリーは、これからも細々と続いていく、のかな?着火性の高いものや爆発物はすべて撤去したつもりですが、もし万が一、私の文章に火種を見つけたとしても、そこは修行中の店主が、「何かまたおかしなことをいってるわい」と思って、適当に聞き流していただければ幸いです。それが大人の態度ってものなのですよ。そう思うよね?

さあ、今日も燃えない程度に、淡々と仕事を始めるとするかな。