2026年5月8日金曜日

GWの話:インターネットにはゼニが落ちているという話

PHILOSOPHY 2026.05.16 #人生哲学 #商売道 #昭和の覚悟 #通販業者の矜持

毎年のことでありますが、GWは休まない。

これが私の30年来の方針であります。

思い起こせば20代の頃、まだ何者でもない、資金も後ろ盾も人脈も何ひとつ持っていないどこの馬の骨か分からない凡庸な若造が、一人で商売を始めた際に、誰に言うでもなく誓いを立てたのでした。

「俺は人並みの休日も、家族も、世間が言う幸せとやらも、何も要らん。その代わり、なんとか人並み以上に稼がせてくれ」

それから30年が経過いたしました。人並み以上に稼げているかどうかは、まあ横に置いておきましょう。そもそも、自分自身が「商売に向いていない性格なのではないか」「実は経済活動そのものに大して興味がない人間なのではないか」という重大な疑惑に薄々気づきながらも、まだ続けております。何かの呪いのように、続いているのです。

「商売は長く続けることが大事」という話はよく聞きますが、なるほど確かに結構な年月をやってきております。これはもはや才能でも熱意でもなく、単なる惰性と意地の合わせ技という気がしなくもない、という次第です。


一、ネットに落ちているゼニと男の覚悟

さて、ここで人生の哲学の話をしましょう。

他人が休んでいるときにも、そこにゼニが落ちているなら拾いに行け。たとえ10万でも20万でもいい、その積み重ねがやがて大きな差となって返ってくる。所詮商売は金だ——これが30年かけて自然に体に染み込んだ、私の人生哲学であります。

野球界には「グラウンドにはゼニが落ちている」という名言がありますが、私の場合はバットを握ったことなど一度もない。ではどこにゼニが落ちているかと言えば、ネットの販売業者なのですからインターネットに決まっています。インターネットにゼニは落ちている。欲しければ働いてそれを拾え。以上、これが私の行動原理の全てであります。

⚔️ 敵基地攻撃能力を含む正当防衛

そういえばかみさんがGW中に私の誕生日があるから、サプライズで娘夫婦と焼肉をセッティングしてくれたけど、「ふざけるな、前にも俺の誕生日には何もするなと言ったのは忘れたのか?」とブチ切れて、「焼肉が食いたいならお前たちで行きやがれ!」と断った。それが出来ないなら、来年の誕生日には雲隠れをすると宣言。

ここで折れたりするとドミノ理論が発動して全てがグダグダになるので、ビシッとけじめを付けてやめさせる。これが敵基地攻撃能力を含む正当防衛というものなのです。グダグダになるとどうなるか分かりますか?三角帽子を被ってケーキにろうそくを立てて、フーっと吹き消して、ハッピーバースデー!という大騒ぎに参加させられます。私にとってこれは厳しい世界に身を置く男の美しい生き方ではない、断然ちがうことは保証します。

甘ったれた人生を生きてきた人間と、厳しい世界で泥水を飲みながらでもゼニを拾うことをしてきた人間の覚悟はこれぐらい違うわけです。どちらが正しいとか、そういうことはどうでもいいです。男たるものはどうあるべきか、それが人生の哲学です。


二、ゼニの使い方と配達員への敬意

で、そうして稼いだゼニを何に使うかというのがこれまた一種の問題でして、金を使うというのは金を稼ぐよりもある意味難しい。人間の品性が如実に出てしまうからです。

何しろ私は清貧志向と申しますか、余計な出費を力尽くで排除しつつ、いかに人生を楽しむかを日々追求しているような人間です。ある意味、「お金を使わない道を極めた者」という段位(黒帯)にすでに達しているのかもしれない、と思うことがある。

ただ最近、お金の使い方において一つの楽しみを発見いたしました。

宅急便でも佐川でもAmazonでも、うちに配達に来てくださる配達員さん——その方々と顔を合わせるたびに、「ご苦労さまです。これでお茶でも」と千円を渡すのです。日本の物流を支えるその仕事の大変さに、心から感謝をしているからです。要は配送業者あっての通販業者という持ちつ持たれつの関係です。

残念ながら日本郵便だけは規則が厳しく、絶対に受け取ってくれない。いつも申し訳ない気持ちになります。

考えてみれば簡単な話です。「あの家に行くと感謝の言葉とジュース代がもらえる」と「あの家に行くとネチネチ文句を言われる」——どちらが配達員として嬉しいか、などというのは考えるまでもないでしょう。配達員に不当な要求をしていじめるとかもう論外だというか、人外といってもいい存在だ。彼ら(配達員)がやめたら便利な通販は終わってしまうぞ?彼らに「この仕事はものすごく社会の役に立っているし、実際とても感謝されるし、しかもたまに良いことがある」と実感してもらえれば、少々のことで辞職するのを思いとどまってもらえるかもしれない。

⚡ ご近所トラブルと情報共有の流儀

ついでに2件隣の地主の荷物がうちに誤配されてきたときには、誤配するぐらいだから新人だろうと判断し、「あの一族はこのあたりの鼻つまみ者で、地頭なみに威張り散らしている人間だから、気をつけたほうが良いぞ」と配達員に要注意人物の情報を伝えておくことも忘れない。


三、誰でも使え——外トイレの流儀

さて話はトイレに移ります。

うちにはトイレが外にあるのですが、世間を見回すと「このトイレは従業員専用」という貼り紙をよく見かけます。セキュリティの問題やら衛生管理やら、備品を持ち帰ってしまうとか、何を考えているのだか壊していくやつとかまでいるそうで、まあトイレの持ち主としたらいろいろな事情があるのでしょう。それは十分わかる。

しかし私はそういうケチ臭いことは言いません。「遠慮せずに誰でも使え」が私の方針です。

夜中に酔っ払いがトイレを探して街を彷徨い、やっと見つけたと思ったら「従業員専用」の貼り紙。お前はここで用を足す権利はないと言われる絶望感。——これでは行き場を失った彼が敷地の隅で事に及ぶ羽目になる、などというやっかいな事態が起こりかねない。そんなことになるぐらいなら、むしろトイレを使ってもらった方が遥かにマシです。

なお、トイレの中に小銭が置いてあります。そこに心付けを置いていけという話ではなく、その金を少々持っていっていいから隣の自販機のポカリを買って飲んで、酔いを覚ましていってくれ。ただしひとつだけお願いがあるんだ。大便は便座の上でしてください(便座の上にするのではない---日本語は難しいね)。それだけです。

緊急事態に陥った者を前に、規則だの衛生だのとゴチャゴチャ言わずに「大惨事を起こす前にさっさとクソをひってこい」とトイレに送り出してやる——これもまた一種の人生哲学だと、私は思っているのでした。


結び:30年前に誓ったこと

こうして今年のGWも、私は淡々と働き続けております。どこかで誰かが海へ行き、バーベキューをやり、温泉に浸かって人生をエンジョイしている時間にも、インターネットのどこかにゼニは落ちているわけで、それを見て見ぬふりをする理由が私にはない。

30年前に誓ったことは、まだ有効なのであります。