毎年のことでありますが、GWは休まない。
これが私の30年来の方針であります。
思い起こせば20代の頃、まだ何者でもない、資金も後ろ盾も人脈も何ひとつ持っていないどこの馬の骨か分からない凡庸な若造が、一人で商売を始めた際に、誰に言うでもなく誓いを立てたのでした。
「俺は人並みの休日も、家族も、世間が言う幸せとやらも、何も要らん。その代わり、なんとか人並み以上に稼がせてくれ」
それから30年が経過いたしました。人並み以上に稼げているかどうかは、まあ横に置いておきましょう。そもそも、自分自身が「商売に向いていない性格なのではないか」「実は経済活動そのものに大して興味がない人間なのではないか」という重大な疑惑に薄々気づきながらも、まだ続けております。何かの呪いのように、続いているのです。
「商売は長く続けることが大事」という話はよく聞きますが、なるほど確かに結構な年月をやってきております。これはもはや才能でも熱意でもなく、単なる惰性と意地の合わせ技という気がしなくもない、という次第です。
さて、哲学の話をしましょう。
他人が休んでいるときにも、そこにゼニが落ちているなら拾いに行け。10万でも20万でも、その積み重ねがやがて大きな差となって返ってくる。所詮商売は金だ——これが30年かけて自然に体に染み込んだ、私の人生哲学であります。
野球界には「グラウンドにはゼニが落ちている」という名言がありますが、私の場合はバットを握ったことなど一度もない。ではどこにゼニが落ちているかと言えば、インターネットです。インターネットにゼニは落ちている。欲しければ働いてそれを拾え。以上、これが私の行動原理の全てであります。
そういえばかみさんがGW中に私の誕生日があるから、サプライズで娘夫婦と焼肉をセッティングしてくれたけど、
「ふざけるな、前にも俺の誕生日には何もするな言ったのは忘れたのか?」とブチ切れて、「焼肉が食いたいならお前たちで行きやがれ!」と断った。それが出来ないなら、来年の誕生日には雲隠れをすると宣言。
ここで折れたりするとドミノ理論が発動して全てがグダグダになるので、ビシッとけじめを付けてやめさせる。これが敵基地攻撃能力を含む正当防衛というものなのです。グダグダになるとどうなるか分かりますか?三角帽子を被ってケーキにろうそくを立てて、フーっと吹き消して、ハッピーバースデー!という大騒ぎに参加させられます。私にとってこれは厳しい世界に身を置く男の美しい生き方ではない、断然ちがうことは保証します。
甘ったれた人生を生きてきた人間と、厳しい世界で泥水を飲みながらでもゼニを拾うことをしてきた人間の覚悟はこれぐらい違うわけです。どちらが正しいとか、そういうことはどうでもいいです。男たるものはどうあるべきか、それが人生の哲学です。
で、そうして稼いだゼニを何に使うかというのがこれまた一種の問題でして、金を使うというのは金を稼ぐよりもある意味難しい。人間性が出るからです。
何しろ私は清貧志向と申しますか、余計な出費を力尽くで排除しつつ、いかに人生を楽しむかを日々追求しているような人間です。ある意味、「お金を使わない道を極めた者」という段位(黒帯)にすでに達しているのかもしれない、と思うことがある。
ただ最近、お金の使い方において一つの楽しみを発見いたしました。
宅急便でも佐川でもAmazonでも、うちに配達に来てくださる業者さん——その方々と顔を合わせるたびに、「ご苦労さまです。これでお茶でも」と千円を渡すのです。日本の物流を支えるその仕事の大変さに、心から感謝をしているからです。
残念ながら日本郵便だけは規則が厳しく、絶対に受け取ってくれない。いつも申し訳ない気持ちになります。
考えてみれば簡単な話です。「あの家に行くと感謝の言葉とジュース代がもらえる」と「あの家に行くとネチネチ文句を言われる」——どちらが配達員として嬉しいか、などというのは考えるまでもないでしょう。配達員に不当な要求をしていじめるとか論外だ、彼らがやめたら便利な通販は終わってしまうぞ?彼らに「この仕事は社会の役に立っているし、しかもたまに良いことがある」と思ってもらえれば、辞職するのを思いとどまってもらえるかもしれない。
ついでに2件隣の地主関連の荷物がうちに誤配されてきたときに、「あいつはこのあたりの鼻つまみ者で、俺は地主だぞ!と威張り散らしている人間だから、気をつけたほうが良いぞ」と配達員に注意喚起をすることも忘れない。
話はトイレに移ります。
うちにはトイレが外にあるのですが、世間を見回すと「このトイレは従業員専用」という貼り紙をよく見かけます。セキュリティの問題やら衛生管理やら、備品を持ち帰ってしまうとか壊していくやつとかまでいる。まあいろいろな事情があるのでしょう。それはわかる。
しかし私はそういうケチ臭いことは言いません。「遠慮せずに誰でも使え」が私の方針です。
夜中に酔っ払いがトイレを探して街を彷徨い、やっと見つけたと思ったら「従業員専用」の貼り紙——これでは行き場を失った彼が敷地の隅で事に及ぶ羽目になる、などというやっかいな事態が起こりかねない。そんなことになるぐらいなら、むしろトイレを使ってもらった方が遥かにマシです。
なお、トイレの中に小銭を置いてあります。その金で隣の自販機のポカリを買って飲んで、酔いを覚ましていってくれ。ただしひとつだけお願いがあるんだ。うんこは便座の上でしてください(便座の上にするのではない)。それだけです。
緊急事態に陥った者を前に、規則だの衛生だのとゴチャゴチャ言わずに快くトイレを使わせてやる——これもまた一種の人生哲学だと、私は思っているのでした。
こうして今年のGWも、私は淡々と働き続けております。どこかで誰かが海へ行き、バーベキューをやり、温泉に浸かっているその時間にも、インターネットのどこかにゼニは落ちているわけで、それを見て見ぬふりをする理由が私にはない。
30年前に誓ったことは、まだ有効なのであります。