今朝、ニュースサイトを見ていたら 日本カメラ休刊の記事が載っていて、とうとう来るべきものが来てしまったと思ったのでした。
日本カメラには、以前記事を書かせていただいたり、ムックで取り上げていただいたり、色々とお世話になったりしました。
年齢もほぼ一緒だったのもあり仲のいい編集者さんがいて、色々と教えていただいたり、何かと便宜を図っていただいたり、個人的には非常に思い入れの深い雑誌社さんでした。
日本カメラの編集者さんたちがたまり場にしていた、人形町にある昭和レトロな「喫茶去(きっさこ)」)がという喫茶店があって、そこで対談とかをやるんです。その喫茶店の地続きに有名な親子丼の「玉ひで」という店があり、これがいつも大行列、最後尾40分待ちとかなんですが、裏から親子丼を持ってきてもらって田中長徳先生、赤瀬川原平先生、飯田鉄先生と親子丼を食べたという思い出もあります。飯田鉄先生は実に立派な人格者という感じで挙措動作言動すべて素晴らしい、当時若輩者だった私はこういう大人になりたいものだと思ったのでした(なれなかったけど)。
そのお世話になった編集者さんは、2年ほど前に別の雑誌社に転職されて日本カメラ社を離れたので、もしかしてもうそろそろなのかなぁなんて思ったのですが、老舗のカメラ雑誌社でも時代の流れには逆らえなかったのです。
スマートフォンが普及して、今まさにカメラというデバイス自体が消えつつありますが、未だにフィルムカメラの修理部品を供給している私のような業者はどうなるのだろうか?と自分でも思いますが、そんなこと知らねえよ、としか言いようがありません。