2月の初め頃から、ずっとほぼ玄米と大豆を続けてほぼ二ヶ月になりました。
花粉症にもなるし、一日の温度差が激しくて2日熱で寝込んだりしましたけど、割と健康で至って普通。
2ヶ月ぐらいではまだ何とも言えませんけど、栄養学者の言う健康のために1日30品目を食べろとか、どうやらウソっぽいです。どうみても現代人は栄養を取り過ぎとしか私には思えないですが。それを30種類もやったら身体の方がビックリしちゃうよ。何でもやりすぎは良くないんだよ。必要な量をギリギリ摂取して消化器官に負担をかけない、こっちの方が理にかなってる気がするんですけど。
出来ればこのまま続けて、栄養学とかそんなことを言っている奴よりも健康で長生きして、身をもって栄養学とか言う戯言をこの俺様が大粉砕してやろうじゃねえか。栄養学者が成人病を患って死んだとか聞いたら、祝電送って勝利の大笑いしてやるとか、葬式会場に「この輩は健康のための食生活とか良いながら自分は成人病を患って死んだという冗談みたいな人生でした」とか演説ぶちに行ってやろう、という大きな決意があるのですが、結婚してしまうとそういう事もやりにくくなるんだよな。この点は実に残念だ。
しかしいつも聞かれるのが、
「そんなものを食べ続けていて、嫌にならないのか?飽きないのか?」
「美味しいものを食べたくならないのか?」
とか、これはもう毎度毎度でうんざりくるんです。
玄米粥よりもずーっとマズい拷問みたいな食い物など世の中にゴマンとあるのを知らないのでしょうか。皆さんもそういう死ぬほどまずい食べ物を少なくとも一度や二度は食べたことがあるでしょう。
私が忘れられない死ぬほどつらい食べ物というと、坊さんに間違えられて(スキンヘッドだったから)ボロブドゥール近くの仏教寺院に連れ込まれて、やたら甘くてスパイスが利いていて、冷めていて、とにかくこれ以上口に合わねえ食い物など食ったことがないって食事をたらふく食わされたときの思い出だ。相手は外国からはるばる来た坊さんに精一杯の功徳しているつもりだし、その親切心をむげに断ったらそれはもう人間のやることじゃないだろうと、無理矢理泣きながら口に押し込んで「美味しい、美味しい」と演じてたら、もっと食わされたという、どうしようもないオチがついて、これがもしかして地獄というものなのではないかと、オイ!そこの仏、そんなところに余裕綽々と鎮座してないで早急に最悪の困難に陥っている俺を助けろ!ゴタクとかいいからグズグズするな今すぐにだ!と、お釈迦様を怒鳴りつけたくなって、実際心の中で必死に叫んだけど、結局何もしてくれなかった。まったく使えねえ野郎だと思ったよ。
何と言いましょうか、こんなサンプラザ中野のパチモノを見て坊主と勘違いする方もする方で、大概「うっかりさん」だと思いますけどね。
それを毎日たらふく食わされる事を考えたら、玄米粥はご馳走とは言わんが、ごく普通レベルの食べ物で、何ひとつ文句のつけようがない。
それに永平寺の修行僧ってのはほぼ粥だけの食生活らしい。しかも白米の粥だから脚気になるものも出るそうだ。その白米の粥に比べれば玄米粥は桁違いに栄養満点だ。脚気の心配はまったくない。
栄養学者がほとんど医者にかからず、何の大病もせず、120歳まで健康に生きたって言うなら信じましょうって話ですが、おそらく誰もまだそんなに長生きしてません。つまり彼らの言っていることなど実地で証明されてないのですよ。田舎の中学生じゃないんですから、そんな話を分別のある大人が真に受けて聞いたらイカンのです。あれはいわゆる自分が食うための商売なんだよ。だから自分が言い続けてきたことを「すみません、間違えてました」なんて認めたら明日から食えなくなってしまうんだから、あれはあれでしょうがないんだなと思ってやって欲しい。けれどまともな大人だったら騙されてはいけないです。
とにかく声の大きなやつが何か言っていても、「なるほど?」とか適当に相づち打ちながら、まあ話半分に聞いておけと、それが世の中ってもんです。
暖かくなったなぁ。昨日は夏日だったです。