この時期、高校や中学の同級生と会って、ささやかな同窓会が開かれたりするのですが、私の同級生は割と大企業勤めが多いです。誰でも聞いたことがある企業に勤めている人間ばかり。変な聞いたこともない、食えてるのか怪しいような自営業をやっているのは私ぐらいです。
母体が立派だから安定していて羨ましいと、私なんかは正直そう思ったりするのですが、ますます激しくなるばかりの競争社会は大企業だろうと全然甘くないようです。そもそも大企業というのは優秀な人間(ばかり)が集まっているので、その分競争も熾烈で、競争から脱落すると、定年が早くなるとか、子会社出向で現役から外される、という切実な現実がある(らしい)のです。また社員数が多いので、人間関係というのも実に難しい。ついていく上司が失脚すると自分も居場所がなくなるとか、自分の実力以外の要素も深く関わってくるし、しかも規模が大きいので、日本各地をあちこち飛ばされる。日本各地ぐらいならまだ良いけど、慣れない海外に飛ばされるというのも、実際のところあまり良いものでもない(らしい)。
高い給料をもらうと言うことは、それに見合った成果を出さないと、立派な大企業だろうと放り出されるという、よく考えてみれば利益追求団体の中では給料泥棒などは存在を許されないという至極当然の理屈で、実はこれっぽっちも甘くない世界だということを、あらためて知ったのでした。
彼らは私に「自営業は死ぬまで現役で働けて羨ましい」と言いますが、来年存続出来ているかどうかわからないような事業をやっているのに、死ぬまでとか夢物語を言われてもなぁ、、、それは比較する対称を完全に間違っているのではないだろうか?死ぬまで現役で働けて羨ましいというのは、例えば、一休さんに出てくる吾作さん(小夜ちゃんのおじいさん)が、あの歳になるまで安国寺の寺男として現役で働いて羨ましいですねとか、そういうのを言うわけでさ、「一生涯一寺男」、実に羨ましいな、とそういうものであります。
47歳なら、退職などという話はまだまだ先のような気がしますが、元専売公社である某大企業では役職ついたら55歳で定年、ヒラで良いなら65歳まで置いてもらえるとか、そういう話を実際に聞くと、現実的に肩たたきとか追い出しとか、そういうことも想定して「まだまだ先があるさ」という気楽な気分で過ごしてもいられなくなり始めてきている、そんな年頃なのかも知れません。
「隣の芝は青く見える」。違う環境にいる者同士、まさにそれを深く感じたのでした。どんな環境にいようと、生きている限りは苦労が多い、そういうもののようです。