2016年3月12日土曜日

革装辞書

昔、革装してある辞書というのがありました。たぶん今でもオプションで革装というのがあるとは思いますが、あまり見ないですね。コンサイスのポケット辞書なんかで表面が革巻きというか革張してある辞書というのは、古くなると何とも味が出て格好良かった覚えがあります。

今回、うちの養女用にインドネシア語-英語/英語-インドネシア語の辞書(Tuttle Concise Indonesian Dictionary: Indonesian-English English-Indonesian)を買ってきたのですが、値段が値段だけに($13.70US+送料)表紙が弱々しいペーパーバックなのです。ということで革装にしてやれと言うことで、余っている革を巻いてやることにしました。



元のペーパーバック状態の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、まあこんな感じ。かなり渋くなりました。レーザーで名前まで彫っておきました。

しかし、これではまだ今一つだな、ということで、さらにグレードアップしてやります。



ベルトをつけてやれ、ということでこれまた余っている革を、適当は刃型でカットして、何とベルト部分は表裏貼り合わせ+縫い合わせ、という豪華バージョン。



ホック止めにしようかと思いましたが、それは凸が出てしまって良くないだろうと思い、ベルト通しにしました。



これならベルトもそれほど邪魔にならなそうです。



裏は縫い合わせてベルトを固定。



なんかちょっとだけ高級なバイブルみたいになった。おお!これはなんかちょっと良いぞ。
私が欲しいぐらいです。

もらう方としては、こんなものよりも新型iPhoneが欲しいというのが正直なところでしょうけど、まあそんなものです。

しかしながら今後、母語であるインドネシア語は、日本では使う機会がほとんどないだろうし、日本の高校に入るので日本語が母語になるというか、そうならないと社会に出られないというか、社会に出るぐらいは出来るだろうけど、母語のインドネシア語だって中学を出て日本に来たから決して大人レベルではないわけです。英語は平均的な日本の中学生よりは出来るとは言え、これも大人レベルではなく、とにかく現状では日本語を大人レベルにしていかないと、きちんとした母語がない人間になってしまう可能性があるわけです。
我々日本に住んで生活している人間にはあまりピンとこない話なのですが、きちんとした母語がなく、マルチリンガルなんだけど、どの言語も中学生レベルでしかないという人というのは、世界には案外多いです。そういう人と話せばわかりますが、物事の理解がものすごく浅く、単純な事柄は理解できるんだけど、抽象的な概念になるとさっぱり無理だってのがたくさんいるんです。田舎の中学生と話をしているみたいで、人柄は良いんだけど、物事の判断基準として「良い悪い」とかの表面的なもの以外にももうちょっと何か掘り下げたものがあるんじゃないのか?と言いたくなるのは、まあ日本人でもいっぱいいますけど、きちんとした母語ってのは大切なんですよ、とそういうことです。

うちの養女もなかなかしばらくはなかなかしんどい時期を過ごしそうですが、まあ本人が努力する以外にはこれと言った方法がない、という難しいところです。